その人の「生の残像」「存在の余韻」
死者は、生者にずっしりとしたものを残す。
その重みは、その人の「生の残像」「存在の余韻」
自分とその人との関係性の中で刻まれた小さな歴史。
その物語が終わってしまったことの耐えがたいほどの寂しさと癒えぬ悲しみ、、、
寺山修司という男は、深く関わった人たちにとって、無傷のままでは共に生きられないほどの影響力をもつ男だったようだ。
下手に近づいたら火傷するような魅力的な存在はいるものだ。男、女にかかわらず。

寺山修司記念館に立ち寄った
先月、奥入瀬渓谷に行った帰りに寺山の元妻が寺山の故郷、青森県三沢市に立てた寺山修司記念館に立ち寄った。
その時に二人の女が共に寺山修司と生きた日々を書いた本があることを知り帰ってから読んだ。
寺山が子どもを飲み込む凄まじく業の深い母親に育てられたことを初めて知った。
寺山の幼少期は、「父親不在」の心細さと「母親の呪縛」に怯える子どもだったのだ。
その孤独感と愛の渇きと飢えをあれほどの表現活動、そして芸術活動に昇華させて寺山は逝ったのだ。
相当のモテ男だったらしい寺山修司の人生に深く関わり、愛し、愛され、信頼し、裏切られ、降り回され続けた二人の女の人生。
それでも最後まで共に仕事をし、寺山を愛し続けた二人の女は寺山の死の瞬間も病室に共にいた。

