自分探しというのは、“自分に帰る” ということ

自分探しというのは、“自分に帰る” ということ

圧倒的なBeing

この人との出会いがなければ、今の自分はいない。

そう思える人が、誰の人生にも何人かはいるだろう。

私の生き方、在り方、仕事の仕方に強烈に影響を与えた人物が、私の人生にも何人かいる。

「感性の巨人」と巷で言われている行徳哲男先生もそのお一人だ。

圧倒的なBeingである。

強烈だった。行徳先生との出会いは。

 

Beingはメソッドの8倍の影響力

カウンセラーやセラピストやコーチなどの対人援助職の人や、人材育成をしている経営者の方は、

援助の手法自体が世界中に何百もあることから、

力をつけるために次から次へと様々な知識、理論、メソッドを学ぶ傾向がある。

私も実際どのくらいのメソッドを学んだか数え切れないほどだ。

それらは確かに今とても役に立っている。

しかし、ハコミセラピーの創始者のロン・クルツが自著の中で書いているように、

誰が(どのような人が)、そのメソッドをどのように使うかの方がはるかに影響力が大きい。

援助者のBeing(在り方)は、メソッドの8倍の影響力を持つと言っている。

確かにそう思う。同じメソッドを使ったり、教えたりしていても、

それを伝える人の在り方で、感じるもの、受け取れるもの、気づきの深さは全然違う。

援助者自身が、どれだけ自分の内側を見てきた人であるか、

人としてどれだけ鮮明に自分を生きているのか、

どれだけ正直に自分を生きているのか、

どれだけいのちのど真ん中を生きているのか、

それらは隠しようもなく人には伝わってしまうのだ。

 

人の目が気になる

クライアントさんのご相談の中で多いのは、

・人間関係がうまくいかない。

・生きづらい

・自分の居場所がどこにもない

・人の目が気になる。人からどう思われているかが気になる。人が怖い。

・自分に自信がない。自己肯定感が低い。自己否定が強い。

・自分が本当にやりたいことがわからない

・やろうと思っているのに動けない。行動に移せない。

・生きている意味がわからない。人生がつまらない。虚しい。

こういったご相談内容の方が多い。

これらの課題に関して有効なアプローチの仕方は確かにいくつもあるのだけれど、

根本的なところでの行徳先生のメッセージは痛烈だ。

『約束された道』(学芸みらい社)に行徳先生のことを書いたこともあり、

LPL養成講座を卒業した人たちで、最近、行徳先生のBE研修に行く人が多い。

それぞれが言葉にならないような深い体験をして帰ってくる。

『約束された道』から一部抜粋してみよう。

 

考えるから不安になる! 考えるから動けなくなる!

現代人の最大の病は、感受性微弱、シリアス(深刻)病です。みんな感じることを忘れて考えてばかりいる。

感じている自分こそがまぎれもない自分なんですよ。

考えるから動けなくなる。

考えるから臆病になる。

考えるから不安になってしまう。

考えるから深刻になる。

考えて解決したことなと今までありますか。

考えれば考えるほどわからなくなるでしょう。

 

人の目、世間の目ばかり気にし、人にこう思われたい自分、こう見せたい自分ばかり作って生きているからみんな自分がわからないんです。

人が自分をどう見ているのか、自分は人からどう思われているのかの方が、自分が自分を生きることよりも大事になってしまっている。

これでどうやって自分の人生が生きられますか。

 

悲しみから逃げているから、悲しみが追いかけてくるんです。

心の痛みというのは、逃げないでその中に飛び込んでみれば自然に流れていくんです。

自分のどんな感情も粗末に扱ってはいけませんよ。

自分が不鮮明になりますから。

 

 

深く悲しむ力

行徳先生が言うように、人は、深い悲しみを悲しむ力がないと、

本当の意味で立ち直ることはできないのだと私も思う。

先生は、人があまりに痛くて、その悲しみから逃げてきたものに直面させる。

その人の中にある深く悲しむ力を引き出して、真に立ち上がらせるのだ。

そして、その人本来の自分、無垢な心を思い出させる。

私も行徳先生のお蔭でおいおい泣かされた。

振り絞るような涙が出てきた。

そうしたら、先生に「お、やっと童女の顔が出てきたな。その顔こそが、明美さんの本来の顔なんだよ」と言われた。

 

理性の物差しだけで生きているから、人生がつまらなくなる

正しいか間違っているか、善か悪か、損か得か、

そんな理性の物差しだけで生きているから人生がつまらなくなるし、

スケールの小さい人間になってしまうんです。

一度ちゃんとわがままに生きてごらんなさい。

楽しいか、楽しくないか、好きか、嫌いか、快か、不快か、

面白いか、面白くないか、やりたいか、やりたくないか、行きたいか、行きたくないか、

そんな感性の物差しで生き始めたら人生が楽しくてしかたないですよ。

自分に正直に生きている人間というのは、

人がその人らしく生きていることも認めることができるものなのです。

我なればこそ、あなたなればこそ、だからです。

 

自分の中を見る、内側に向かうということを始めた人は、

ただもうそれだけですごいことなのです。

素睛らしいんです。

中を覗けば、痛みがいっぱい出てきます。

自分のいやなところも見えてきます。

でもそれを見ることができるのは、勇気がある人だけなんです。

 

誰かのためでもなく、自分のためだけでもなく

そう言われてみれば、とふと思った。

画家のシャガールやゴッホやピカソ、

音楽家のベートーヴェンやモーツアルトやバッハ

あるいは一流のスポーツ選手、

時代や世代を超えて読まれている作品を書いた作家

いわゆる多くの人に感動を与えるような仕事をした人というのは、

世間から認められたくて、賞賛されたくて、お金儲けをしたくて、

絵を書いたり、曲を作ったり、ピアノを弾いたり、文章を書いたり、

走ったり、打ったりしたのだろうか。

いやきっと違う。

絵を描きたくて、

曲を作りたくて、

ものを書きたくて

走りたくて、

打ちたくて仕方がなかったんだ。

誰かのためでも、

世のため、人のためでもなく、

じゃあ自分のためかというとそれも違う。

無心になって打ち込めるものーそれを魂の衝動と言ってもいいだろう。

いのちの底から湧き上がってくる究極の個の欲求こそが、

個を超えた全体に大きく影響を与え、感動を与え、結果、周囲に、社会に貢献するのだと思う。

 

頭でっかちで、臆病で

行徳先生は研修中とても厳しいことを言う。

まさに今の世の中にほとんど無くなってしまった厳しい父性の愛だ。

BEを体験した男たちの多くが行徳先生を”オヤジ”と呼ぶのがわかるような気がした。

研修中の行徳先生は、はつきり言って鬼である。

不動明王そのものである。

頭でっかちで、かっこばっかりつけていて、

臆病で、虚勢を張って、理屈ばかり言って、感性の鈍い人に対して特に先生は厳しい。

でも、先生は、本当は一番よくわかっているのだと思う。

感じることをやめなければ生きてこられなかった男たちのつらさを。

男たちがこの競争社会の中で、勝ち負けゲームの世界でとれだけ傷ついているかを。

この社会で生き延びるために、登り続けるために、

自分の価値を証明し続けるために、

男たちは仮面や鎧をまとうことでしか自分を守れなかったということを。

自分を守るというのは、本当はちっぽけな自分のプライドや見栄や恐怖心だけを守っているだけではないのだ。

そのもっと奥にある、繊細さや、純粋さ、無垢なるものも同時に守っているのだと思う。

何者も決して汚し得ないものを人はみな内側にもっているから。

堅さの内側には必ず柔らかいもの、繊細なものがあるから。

 

厚くて固い殻を破る

だから、行徳先生は、自分ではもう割れなくなってしまった人の、

その厚くて堅い殻を破る。割る。壊す。溶かす。

ここに、行徳先生の長年培ってきた奥義・手法がある。

パッカーンって音がするほどだった、殻が割れた瞬間は。

すると、一人ひとりの”感性の扉”が次々に開いていき、

みんなの顔がどんどん少年、少女の顔になっていくのだ。

みんないい顔になっていく。

その人の本当の顔、表情が立ち現れてくる。

初日に会った時の顔とは別人28号だ。

殻をかぶったままでは、本当の自分には出会えない。

人ともつながれない。

本来の自分のいのちの輝きも表れてこないのだ。

私もこんな仕事がしたいと思った。

もちろん私と行徳先生では、在り方もやり方も違う。

それでも私は、行徳先生と同じように「人が本来の自分に帰る」お手伝いをしたい。

その人が今生やると決めてきたいのちの仕事に出会えるようなサポートがしたいと心から思ったのだった。

 

人間的に魅力がある人とは

自分探しというのは、実は、”自分に帰る”ということなんです。

それはある意味、幼心に戻ると言っていい。

四国の松山に、蓮華寺という寺がある。

その山門には、”人間にとって最も大切なもの、それは、童心を忘れないこと。童心とは、神に最も近く接する姿である”と書いてある。

人は、子ども心に近づけば近づくほど、神さまと一緒になれるということです。

人間的に魅力がある人というのはみな、どこかしら子どもっぽさ、あどけなさ、無邪気さ、茶目っ気、純粋さをもっています。

そして、それは、長生きの秘訣、健康の秘訣、いきいきと輝いて生きる秘訣でもあるんです。

 

私は行徳先生にこの話を聴いていた時、あのイエスの言葉を思い出した。

「幼子のような者だけが神の王国に入れる・・・」

と言う言葉を。

 

再び無垢になった人

幼子のような人とは、一度ちゃんと大人になって、

大人として生きて、再び子どもになった人、

再び無垢になった人なのだろう。

赤ちゃんが無垢なのはそのままだ。

なんの努力もいらない。

でも、人間の世界の汚さ、醜さ、

自分の心の修羅にもとことん向き合って、

そしてもう一度、純粋さ、無垢さに戻ってきた人の透明感は途方もない。

まさに泥の中で咲くあの美しい蓮の花のようだ。

俗世にいながら俗世を超えて生きている人。

耐え難いほとの現実の重さを抱えているにもかかわらず、

それでもただ淡々と生きている人。

大人でありながら子とものような純粋さをもっている人。

自分を小さくできる大きな人。

すでに悟られているのにその辺のおじさん、おばさんと何ら変わらず”普通の人”として生きている人。

汚泥のような人間の心を熟知しながら、

それでも人間を、この世界をこよなく愛している人。

いるだけですごい存在感のある人。

そんな途方もない人間が、時としているものだ。

「人間万歳!」

「一生不悟!」

と行徳先生は叫ぶ。

この泥臭く、人間くさい行徳先生が本当に好きだ。

行徳先生は、途方もないどころか、とんでもないお方の一人である。

そのお口あんぐりのヒンシュク物語、ハタ迷惑事件の逸話は枚挙にいとまがない。

それは人のこと言えないでしょ!!と一人ツッコミ、笑。

先生は、高血圧で心臓の病気もあり、いつ心臓発作が起るかわからないので、

いつも二トログリセリンを持っているのだという。

行徳先生は、まさにいのちがけでお仕事をされているのだ。

いや、いのちがけなんていう深刻さは、行徳先生には微塵もない。

ただ、いのちを燃やして生きている、

完全燃焼の人生なのだ。

こんな生き方を私もしたいと心から思った。

人生で師と呼べる人に出会えた私は幸せ者だと思う。

こんなにわがままで
こんなにあたたかくて

こんなに厳しくて
こんなにやさしくて

こんなにムチャクチャで
こんなに自由で

こんなに熱くて
こんなに淋しがりやで

こんなにヤクザで
こんなに純粋で

こんなに自己中心的で
こんなに情が濃くて

こんなに知的なのに
こんなに知性のかけらも見えなくて

こんなにハタメーワクなのに
こんなに愛されていて

こんなに年寄りなのに
こんなに子どもみたいで

こんなにダイナミックなのに
こんなに細やかな思いやりがあって

こんなにとんでもない人なのに
こんなに人に慕われる!

 

行徳哲男・86歳

・日本BE研究所

連絡先:〒104-0045 東京都中央区築地7-12-13-503
TEL:03-3438-1117

 


 

 

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http://www.okabeakemi.com

 


書籍&CDのお知らせ

 

『私に帰る旅』
(学芸みらい社)


角川学芸出版から刊行された本書が、
装幀も新たに学芸みらい社から刊行されました。
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『約束された道』
(学芸みらい社)


2017年6月刊行と同時に増刷。
2018年4月第3刷決定。
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『もどっておいで私の元気!』
( 善文社)


1996年5月刊行から22年間のロングセラー。第12刷。
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『いのちの花』
(CD)


¥2,000
CDは講演会、ワークショップ等で販売しています。必要な方は、Facebookのメッセンジャーにご連絡下さい。

 

投稿者プロフィール

岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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