神は強情に不在し続け 私は強情に愛し続けた

 

 

今ほど女性が自由に生き、自由に仕事をし、自己表現し、

自分らしい人生を生きている人など一部の女性でしかなかった時代一

存在も言葉も表現も尖りまくっていたかっこいい女性たちがいた。

女性の自立と、恋の挾間で揺れ動いていた20代の私が、

その圧倒的存在の魅力に痺れた一人の女性詩人がいた。

その名は、吉原幸子。

私は、自分の中にある激しさと情熱とパワーが、破壊と喪失の傷につながるたびに

「吉原幸子の詩集」に手を伸ばした。

最初はなんて美しく、カッコいい詩人なのだろうと惹かれた人なのだが、

詩集のページをめくるたびに、

この詩人の紡ぎ出す言葉の魂が当時の私の琴線に深く触れてきた。

そして、私は、彼女の言霊によって、私の本来の「生の色と音と香り」を思い出すのだった。

そして、歳月が流れ、今再び読み返してみると、

色もなく、香りもなく、言葉もない世界に突き抜けていくために彼女は、

この世の、色という“個の肉体と体験”の世界をとことん味わい尽くして、

それを言葉にして逝ったのだということがやっとしみじみとわかる年齢になった。

彼女は若き日の私にとって、

まさに「Power of Being」の人だった。

 

 

「喪失」(吉原幸子詩集より)

 

過ぎ去ってからでないと

それが何であるかわからない何か

それが何であったかわかったときには

もはや失われてしまった何か

サロイヤンの「人間喜劇」の中でホーマーは言った。

『ぼくは、人は大きくなったら泣かないもんだと考えていたけど、ほんとうは大きくなってから泣くんじゃないかな。だって、大きくなってはじめて、いろんなことが分かりだすんだもの…』

-小ちゃくなりたいよう!

-小ちゃくなりたいよう!

ひどく光る太陽を 或る日みた

煙突の立ちならぶ風景を 或る日みた

失ったものは 何だったろう

失ったかわりに 何があったろう

せめてもうひとつの涙をふくとき

よみがえる それらはあるだろうか

もっとにがい

もっと重たい

もっと濁った涙をふくとき

わたしの日々は鳴っていた

-大きくなりたいよう!

-大きくなりたいよう!

いま それは鳴っている

-小ちゃくなりたいよう!

空色のビー玉ひとつ なくなって かなしかった

あのころの涙 もう泣けなくなってしまった

もう 泣けなくなってしまった

そのことがかなしくて いまは泣いてる

 

吉原幸子のはじまりには”喪失”がある。

気づいてみると、彼女を包んでいた何かが喪われていた。

空色のビー玉を無くして泣いていた姿が、突然遠くに見えてしまうこと。

突然やってきた、やりきれないほどの飢えを、どう満たしたらいいのだろう。

喪うことが、吉原幸子のはじまりだった。

 

 

「喪失ではなく」

 

大きくなって

小さかったことの意味を知ったとき

わたしは”永遠”を

ふたたび もった

こんどこそ ほんとうに

はじめて もった

誰でも いちど 小さいのだった

わたしも いちど 小さいのだった

電車の窓から きょろきょろ見たのだ

景色は 新しかったのだ いちど

それがどんなに まばゆいことだったか

大きくなったからこそ わたしにわかる

だいじがることさえ 要らなかった

子供であるのは ぜいたくな 哀しさなのに

そのなかにいて 知らなかった

雪をにぎって とけないものと思いこんでいた

いちどのかなしさを

いま こんなにも だいじにおもうとき

わたしは”永遠”を はじめて生きる

もういちど 電車の窓わくにしがみついて

青い景色の瑞々しさに 胸いっぱいになって

わたしは ほんとうの

少しかなしい 子供になれた 

(吉原幸子の詩集より)

 

 

 

電車の窓から見るすべてがまばゆかった時、

それをまばゆいとも、だいじとも思わずに、

自然に満ち足りていた時、

そのかけがえのなさを、今、切ないほどに抱いている。

”小さかったことの意味”とは、

そこここに存在するものすべてが、

そのままきらめいていた、

そのままで肯定できたということ。

そして、そこにただ自分がいることが幸福であったということ。

喪ったままではいられない。

大切なものを喪った淋しさを湛えながらも、

だからこそ”青い景色の瑞々しさに“ 胸いっぱい”になることができる。

清々しい空気を切ない胸に吸い込んで、静かな想いを抱く人。

 

 

吉原幸子の詩「オンディーヌ」の中に

「純粋とはこの世でひとつの病気です」

という1行がある。

世界を抱きしめているのかー。

世界に吠えているのかー。

この両方の交錯が彼女の詩だ。

一人の女としてのこの世界での立ち方を

詩を通して吉原幸子は私たちの前に赤裸々に差し出す.

 

 

「あのひと」

 

あのひとは 生きていました

あのひとは そこにいました

ついきのう ついきのうまで

そこにいて 笑っていました

あのひとは 生きていました

さばのみそ煮 かぼちゃの煮つけ

おいしいね おいしいねと言って

そこにいて 食べていました

あたしのえくぼを 見るたび

かわいいね かわいいねと言って

あったかいてのひら さしだし

ぎゅっとにぎって いました

あのひとの 見た夕焼け

あのひとの 聴いた海鳴り

あのひとの 恋の思い出

あのひとは 生きていました

あのひとは 生きていました

(吉原幸子の詩集より)

 

 

吉原幸子は、また、大切な人を喪ってしまった。

一切は過ぎてゆく。

すべては消えてゆく。

けれども、一人の人が、こんなにも胸を熱くして人を想ったことが、なんでもなかったというわけにはいかないだろう。

 

 

「夏の墓」

 

神は たしかに いなかった

太陽は 強情に のぼりつづけ

わたしは 強情に愛し続けた

けれども 神はいるのだった

或る日 わたしが わたしをのぞきこんでみると

いつの頃からか わたしが魚だった頃からか

私の魂に 深い傷口があって

音もなく 色もなく たえ間なくそれは泣き

流れ出る血が 神に似ていた

傷口から わたしは すべてを感じとるのだった

いまは わたしは 強情に そうするのだった

それはわたしの うるんだ眼 渇えた唇

犬の嗅覚 鹿の聴覚

それは わたしの悲しみであった

悲しみは 軟体動物の 二本の触覚

傷口から 世界がふいに流れこむとき

わたしは ふるえ ふるえの中にだけ

世界はあり 空は青く

青い空は 傷口に とてもしみるのであった

神は 強情に 不在し続け

わたしは 強情に愛し続けた

(吉原幸子の詩集より)

 

 

 

吉原幸子とともに新川和江も私が好きな詩人だが、

現代詩を代表する二人が立ち上げた「現代詩ラ・メール」は、

間接的なエネルギーとして、

今日の女性の自立、自由、表現に与えた影響力は少なからずあるのだと思う。

女性が一人の人として立って生きていく土壌を創ったという意味において。

20代の半ば頃、脚本家やアナウンサーになりたいという夢をみて、チャレンジしてみたものの、

いずれも、ものにならなかった私だったが、

形を変えて今表現や創造に携わる仕事をしている。

あの頃は、確かに今の何かに繋がっていたのだ。

10代、20代に好きな詩人の詩集を読みまくっていたことは、

私の最初の本「もどっておいで私の元気!」(善文社)が、詩集の形になったことに確実に繋がっていたのだ。

 

 

誰もが、私としてこの大地に立って、この世界に表現していきたいものを持っているのだと思う。

自分の内側にあるその魂の渇望を感じてみよう。

あなたの喜びが、誰かの喜びにつながるもの。

あなたの元気が、誰かの元気につながるもの。

あなたの自由が、誰かを自由にするもの。

あなたの創造が、誰かの創造につながるもの。

あなたの幸せが、誰かの幸せにつながるもの。

私は誰か?の問いが内側に立った人は、自ずと、その道を歩みだすことになるだろう。

そのためには、この私を形作ってきたものを知ることだ。

「私の素」を知るためには、好きなことやワクワクすることや強みや才能を見つけることだけではない。

もし、生きていることに喜びを感じられないのなら、

自分が自分を生きている実感を感じられないのなら、

置き去りにしてきた私の中の小さな人を思い出すこと。

その小さな人がほんとうは持っていたエッセンス(本来生まれ持った資質)

本当は求めていたこと、言いたかったこと、こうしたかったのという、その声に耳を澄ますこと。

あなたの中の失われた欠片を思い出し、

その小さな人を大人になったあなたが抱きしめてあげること。

その小さな人が純粋に無邪気に好きだったことを

人生に自由に表現して生きることを許可してあげること。

その小さな人が幼児の誤解で、自分や他者や世界を制限していた考えを解放してあげること。

昨日、個人セッションにいらした、ずっと生きづらさを抱えながら生きてきた女性二人が思い出した私の中の小さな人が同じだったことに驚いた。

お二人が、自分の中に置き去りにしてしまった小さな人はー

二人とも真っ白なワンピースを着て、草原を自由に軽やかに笑顔で駆け回っている子だったことが偶然ながらも一緒で胸が熱くなった。

置き去りにされた小さな人を思い出したら、お二人とも、なんとも言えないチャーミングで優しい微笑みがこぼれた。

自分を変えたいって言う人がたくさんいる。

変えようとするその前に思い出してみよう。

あなたの中で生きられなかった小さな人を。

ただもつれてしまっただけの「生の糸」をちゃんとほぐしてあげよう。

人はそうやって自分の「生の縦糸と横糸」を手繰り寄せながら、

本当の自分の「生のタペストリー」を編んでいくのだと思う。

 

 


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投稿者プロフィール

岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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