母の人生は幸せだったのだろうか。

母の人生は幸せだったのだろうか。

今日、明日が山でしょう

医師から「覚悟はしておいてください」と言われたのは、今回で3度目だった。

過去2回は、医師にそう言われても、

私はなんの根拠もなく、

「いや、うちの母は大丈夫」

と、私は全然覚悟なんかしなかった。

そして、予想通り、母は見事に復活した。

医師は母の回復力に驚嘆していた。

しかし、3度目の今回は違った。

病院に駆けつけて母を見た瞬間、ギクッとした。心臓が高鳴った。

酸素吸入をして、輸血を受け、身体中から管が出ていた。

86歳にしては肌つやがよく、頬もピンク色の母だったが、

土気色の顔をし、息も絶え絶えだった。

医師から母の状態を聞いた時、

「ああ、これはもう限界だ。今度こそ本当に逝ってしまうんだな、お母さんは」

と思った。

「今日、明日が山でしょう」

と医師に言われ、私は初めて母を見送る覚悟をした。

私は、一旦自宅に戻り、喪服をスーツケースに入れて、

母の入院している病院のそばのホテルに泊まることにした。

 

5年前の母。湯河原「ご縁の杜」に親子旅行。

「お母さん、私は誰ですか?」

母のそばにずっと寄り添った。

言葉や顔の表情の反応がなくても、母の手や肩や足をさすりながら話しかけた。

すると3日目に微かではあるが、身体がちゃんと反応を返してくれているのを感じられた。

4日目の朝。

私が病室に入っていくと、私の顔を見て母は、微かに微笑んだのだ!

昨日までずっと目を閉じていて、全く無表情だったのに。

私は母に聞いてみた。

「お母さん、私は誰ですか?」

「あけみ。私の娘」

びっくりした。

言葉で反応を返してくれた。

父と弟はすでに他界しているので、試しに、母に尋ねてみた。

「お父さんと聡がお母さんを迎えに来てるの?」

「来てない!」

とキッパリ答えるではないか!

医師は5日目、「全ての数値が少しづつ改善されてきています。高齢ですし、内臓機能は諸々相当弱っているので急変する可能性はありますから予断は許しません。しかし、考えられないような状況になってきていて私も驚いています。お母さんの生命力はすごいですね」

明らかに入院した時の土気色の顔、苦しそうな呼吸、見開かない目とは違っていた。

開けた目には少し力が蘇っているのが感じられた。

6日目の朝。医師に、「退院できる可能性は考えられませんでしたが、もしかしたら退院できる可能性があるかもしれません。退院後の受け入れ先のことなどを1階の医療サポートスタッフに相談しておいてください」

と言われた。

叔母(母の妹)と顔を見合わせてひっそり喜んだ。

誠実そうな若い医師の最善の治療方法と、

母の生命力と母の回復を心から祈り続けてくれた者たちの想いが相まっての回復への道だったと思う。

もちろんまだまだ安心はできない状況だが、とりあえず私は一旦自宅に戻り、

また来週、度々母のいる病院に来ようと思う。

母はやはりしぶとい。すごい生命力だ。

私のいのちのしぶとさと楽観性(おめでたい性格とも言う)とおっちょこちょいは、確実に母親遺伝子だ。

人の生き死には「神の領域」だから、あとは天にゆだねるしかない。

 

いのちが翳りはじめている

母が眠っている時に、ちょうど1年前の1月にFacebookに母のことを書いている投稿があったので読み返してみた。

2019年1月

母に新年の挨拶に行ってきた。

去年一度、もうだめかという状況になったが、奇跡的に回復し、病院から、入居しているホームに戻ることができた。

しかし、今日行って、確実に母のいのちは翳りはじめていることを感じた。

かなり弱ってきている。母と私の親子時間はもうそう長くはないだろう。

母と話して「そう思っていたんだ!!」

と思って驚いたことがあった。

 

舞台女優になりたい!

母は、高校時代、演劇部の部長をやっていて、将来は舞台女優になることが夢だった。

母は、高校3年の終わりに杉村春子の劇団に入りたくて、自分の顔写真を添えて、

劇団に入りたい思いと演劇に対する自分の想いを切々と手紙に書いて送ったところ、

劇団の試験を受けに来なさいと杉村春子から直筆の手紙がきたのだという。

 

女の一生

今の若い世代は杉村春子と言ってもピンとこない人の方が多いだろう。

杉村春子は、モッパーサンの文学小説「女の一生」の舞台で、

芸術院賞、毎日芸術院賞、NHK放送文化賞などあらゆる賞を総なめにした「文学座」の看板女優だった。

その杉村春子に憧れて自分も舞台女優になりたいと思っていた母にとって、

当の杉村春子から直筆の手紙で「文学座の試験を受けなさい」と言われたことは天にも昇る気持ちだったろう。

 

幸薄い人生だったのか

母は喜び、劇団の試験を受ける準備をしていたが、その頃に、父に出会い、見染められて、猛烈に口説かれたらしい。

父のアタックは相当だったらしく、母は舞台女優になる夢を捨てて、父と結婚した。

母は、19歳で私を産み、20歳で長男を産み、5年後に末の息子を産んだ。

母の口癖は、「私には青春がなかった。劇団に入る夢を捨てて結婚したのに、亭主は飲んだくれの酒乱だし、家は貧乏だったし、姑や舅にはいびられ通しだったし、20代、30代は、家事・育児だけの毎日だった」

「子どもたちがみんな独立してほっとしていたら、末息子は離婚して、嫁は出てゆき、2歳の双子の孫を私が母親代わりに育てなきゃならなかったし。こんな年になって、まだ子育てしなきゃならない人生なんて」

こんな愚痴をよく聞いていたので、母は、名前に「幸せ」という字が入っているのだけれど、幸薄い人生だったのかなあと私は思っていたのだ。

 

人生退屈している暇なんかなかった

この日、思い切って母にそう思ってるの?と聞いたら、母は、

「とんでもないよ。子育て、孫育てで、人生退屈している暇なかったし、今は、ひ孫までホームに来てお歌唄って、お遊戯見せてくれて、可愛くてしょうがないよ。私の人生は幸せだね」と言うではないか。

そうか、母は、今はそう思ってるんだ!

過去に聞いた言葉に囚われて、勝手に「母は自分の人生を後悔している。自分の人生は不幸だったと思い込んでいる」と決めつけていたのは私の方だったのか。

そういえば、今の母がどんな気持ちなのかを私は聞くこともなかったのだ。

舞台女優とは無縁の、一生、家族というものに深く関わり続けることになった母の人生。

専業主婦になることが女性たちの憧れだった昭和の時代に、

杉村春子のように、自立した女の人生を生きたかった母だったが、その夢は果たせずとも、

「私の人生は幸せだね」と晩年になって呟く母の言葉を聞いて私は少し泣きそうになった。

 

「人生の後書き」で初めて語られるもの

父が亡くなる前に母に言った最後の言葉が、

「お前で良かった」だった。

母は、父のこの言葉で、それまでの苦労が全部報われたと思ったと言っていた。

夫婦喧嘩が絶えなくて、しょっちゅう離婚騒動を繰り返していたのに、

父が亡くなってからは、「あんな優しい人はいない。また生まれ変わってもお父さんと結婚したい」

と言うのでびっくりだった。

苦労の多かった母の人生を見ながら、

「母の人生は幸せだったのだろうか?」

とよく思っていたのだけれど、古いアルバムを見てみると、

幸せそうに笑っている母の写真もいっぱいあった。

人生の最後の旅路の舞台を生きている母の

「女としての一生」を感じてみたときに、

ふと、愛とか、幸せというものは、

「人生の後書き」で初めて真実が語られるものなのかもしれないと思った。

 

なんで私は、こんなめんどくさい家族に生まれたのだろう

今は老いていく母、「人生の最後の章」を生きている母をただただ愛おしく感じ、感謝しかないのだが、

以前はそうではなかった。

父のことも母のことも恨んだ時期もあった。

感情的なしこりやわだかまりもいっぱいあった。

なんで私はこんなめんどくさい家族に生まれたんだと思い、

私は早く独立して家を離れたいと思い、実際そうした。

しかし、実家を離れ、経済的に自立できるようになったら今度は、

父や二人の弟が作った借金を私が肩代わりして返済しなければいけない状況が十数年も続いた。

私は猛烈に働いて、家族が作った借金を猛烈に返しまくった。

家族を離れても、家族のめんどくささからは逃げられなかった。

 

人生パターンを作っている初期設定のOS

私は、30代半ばで生死を彷徨う大病をしたあと、

今までの人生では出会ったことのないような人たちと次々に出会うようになり、

導かれるようにして自己探求の道に歩み出した。

トランスパーソナル心理学や哲学、心身相関の学びや脳科学、仏教や精神世界の学びなどに夢中になっていった。

「自分を知る」ということへの探求と学びは、

私の「人生の再編集」という心の作業になり、

結果として私の人生を大きく変えてくれた。

それは私の「生き直し」だったし、それがあったからこそ、さらに、

「もう一度いただいたいのちをいったい私は何に使いたいのだろうか?」という、

「人生への大きな問い」が生まれのだ。

自己探求は、自己成長と自己解放を自然に促し、

結果として、私の「魂の目的」「人生の目的」を思い出してゆく内なる旅になっていったのだ。

スピリチュアルな世界には、真理、答えを教えたがる人が少なくないし、

答えが書いてある本は山ほどあるが、

私は、「実存への問い」と「自己探求なし」にそれらに触れて、

「非二元・ノンデュアリティ・ワンネス」を頭でわかったつもりになってしまう人の危険性を危惧する。

私自身は自己探求のプロセスで、

人の人生パターンを作り出している根源は幼少期にあることを知り、

それはまさしくその通りだったことを体験的に理解していった。

両親との関係性の見直しをしていく過程で、親との関係の中でできてしまった心の傷を癒し、間違った思い込みにたくさん気づき、手放していった。

人は、まずは自分の人生を駆動させてきた人生の初期設定のOSに気づき、手放すことが大事だ。

するとハートにスペースができてゆき、自分の中の「真実の声」に触れられるようになっていく。

人生を大きく変容させたいと思う人はまず、自分の心身をゆるめて

自分の「ハートからの声」が聞こえるからだになることが先決だ。

人は多くの場合、人生に起こっている自分にとって不都合なことや困っていること、不快なことに対して、

相手(人)や状況を変えること、外側の問題を解決することにエネルギーを注いでいる。

自分がいかに人をコントロールしようとしているかなどに気づかずに。

外側が変われば、あるいは変わってくれれば、自分が楽になると思っているが、本当は逆なのだ。

自分の内側を整え、自分を愛し、許し、自分の本心に気づくことで新しい人生の扉は開かれるのだ。

意識の変容は一朝一夕にはいかないが、内側に意識を向けられるようになったら、必要なことはちゃんと起きてくる。

私自身の「癒し」「気づき」「目覚め」「新しい人生のステージ」

が動き出したプロセスがどうやって起きていったかをこれから連載していこうと思う。

拙著『私に帰る旅』『約束された道』に書いたことと、書かなかったことも含めて。

Facebookに投稿することも、ブログをアップすることも、

母のことが心配でできなかったのだが、

母が小康状態になってくれたおかげでまた書くことができそうだ。

母は、私が「あそこに行きたい!これやりたい!私はこうしたい!」

と思ったことは一度も止めたことがなかった。

私は母から、「やめときなさい」とか「無理よ」「ダメ!」というセリフをただの一度も言われたことがない。

それって今にして思うとすごいことなんだなと思う。

母はいつも「あんたならできるでしょ」と言ってくれた。

そんな母に今は心から感謝をしている。

時間はかかったけれど、自己探求は人生の新しい地平を確かに開いてゆくのだ。

 

 


 

 

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http://www.okabeakemi.com

 


書籍&CDのお知らせ

 

『私に帰る旅』
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『約束された道』
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2017年6月刊行と同時に増刷。
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『もどっておいで私の元気!』
( 善文社)


1996年5月刊行から22年間のロングセラー。第12刷。
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(CD)


¥2,000
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岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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