目次
一時は危篤状態だった母が持ち直して、今は小康状態になり、少しホッとしている。
危険な状態の母のそばに毎日いて、おそらく私自身、相当緊張していたのだろう。
先日、いつも行っている鍼灸マッサージの「銀座オベロン」に行ったら、
森院長が、私の体があまりにガチガチなので驚いていた。
自分の体を定期的にケアしてくれる人、場が私には二つある。
銀座オベロンと麻布十番で毎月、駒ヶ根から出張マッサージに来てくれるフローライト金山施術院の金山明美さん。
森院長も金山明美さん(あけちゃん)共にゴッドハンドです。
ただ気持ちよくなるマッサージではなく、完全に治療、施術です。
継続的に受けているから、自分の体の状態をずっと見てくれている安心感がある。
心と体は本来一つ(心身一如)であることを今回も痛感した。
「あんたならできるでしょ」
前回のブログ『母の人生は幸せだったのだろうか』
の最後に書いたことだけれど、
母は今まで一度も、私がやりたいと言ったことや、
こうしたいと言ったことを「やめなさい」「ダメ」「無理よ」
と言ったことがなく、いつも「あんたならできるでしょ」
と言ってくれていたことを思い出し、今更ながら、
これはすごくありがたいことだったのだと、母の顔を見ながら感謝がこみあげてきた。
母が私の自由と意志と個性を尊重し、信頼してくれたからこそ、
私は「行動すること」や「飛ぶこと」に対してそれほど恐れがないのだと思う。
もちろん人生デッドゾーンの時期は、ものすごく怖くて、抵抗しまくったけれど、、、
最も恐れていたものは
私は失敗は恐れない。
失敗から学べることがいっぱいあることを知っているからだ。
「人生に失敗はない。全ては経験」
という言葉があるけれど、これは本当にそうだなと思う。
私がかつて人生のデッドゾーンにぶちあたった時、
最も恐れたのは一人ぽっちになること、孤独になること、大切にしてきたものや場や人を失うことだった。
しかし、一方で自分が深いところで何を恐れている人間なのかを知ることは、
自分が何を大切にしたい人間なのかということを知る手がかりにもなることを今は知っている。
父と母の魂は表現者だった。
今回の母の危篤状態にずっと寄り添っていたら、
母と亡くなった父の魂を感じた。
父の魂が「表現者」であることは感じていたのだが、
母もまたそうだったのかということが腑に落ちた。
父は会社員、エンジニアの顔だけでなく、歌人でもあったし、小説も書いていた。
母は、実現はしなかったが、舞台、演劇をこよなく愛していた。
母は、映画やドラマの女優になりたかったのではなく、舞台女優になりたかったのだ。
なぜ舞台女優なのかというと、映画やテレビドラマのように、
後で編集作業をして完成形の作品にするものより、
一期一会のライブに魅了されていたらしい。
これはまさしく私が好きなことではないか。
私もワークショップや講座のライブトークやライブセッションが何より好きだからだ。
まさにいまここの瞬間に全てをかけるライブ感は、「生命の躍動」そのものだ。
あの集中と流れるようなプロセスの中でふと立ち現れてくる真実に出会える喜びと感動は何ものにも換え難い。
毎回、人間の可能性の素晴らしさに心がふるえる。
何かの深い縁があって今生は親子になった。
自分の両親を、親という役割の顔以外で見るという眼差しが生まれたのは、
かつて私が死にかけた時に、毎日、病院に顔を見せる父と母を見ていて初めて感じたことだった。
生死の崖っぷちに立たされると、全ての生まれては消えゆく運命にある一人の人間存在が、
ただそれぞれに、健気に人生を生き抜いてきた姿があるだけなのだという感慨が溢れてきたのだ。
私の父と母という役割や、親子の関係性を超えたものへの眼差しと言ったらいいだろうか。
何かの深い縁があって今生は親子になったその不思議さの方に意識が向くのだった。
病院という社会から隔離された非日常空間は
いつもとは違う異界への扉に手をかけている感覚があった。
生活の顔・人生の顔
父の魂は、表現者だったのだと初めて思えたのは、
私自身がかつて入院していた時に毎日見舞いに来てくれた父と話していた時だった。
不思議なのは、家族というのは、家庭という器の外で出会うと、
その役割ではなく、一人の人としての顔を見せることだ。
「生活の顔」ではなく、
「人生の顔」をのぞかせる。
私の父はエンジニアだったが、それは「生活の顔」だった。
父の「人生の顔」は、歌人だった。
父は、私たちを育てるためにエンジニアとして力をつけ、
少しでも私たちがいい暮らしができるようにと、ただひたすら身を粉にして働いてきた。
「鉄は国家なり」という時代の新日鉄釜石(旧・富士製鉄)で、
エンジニアをしていた父は、高卒だったから、出世競争で勝ち抜くためにいつも猛勉強をしていた。
父は、子供の頃からずっと学年で1番の成績だったのに、家が貧しくて進学できなかったのだ。
学歴がないということで、父はどれだけの悔しい思いをしたことだろう。
大企業で高卒の人間が出世するのは並大抵のことではなかったろう。
父は出世するために国家試験を次々に受け17個の国家資格を取得した。
今思っても、血の滲むほどの努力だったろうと思う。
私は、父の後ろ姿を見て、人間は一生学び続けるものだということを教えられた。
人間としての弱さや孤独感
同時に、父は、怒りや悲しみを酒で紛らわす術しか持たない人だった。
酒を飲んでは人が変わったように荒れる父を見て、
父の傷つきやすさ、人間としての弱さや孤独感を子供の頃からずっと私は感じていた。
父の酒によって、我が家は瞬時にして修羅場と化した。
母は、私の結婚相手の条件として、唯一、酒に飲まれてしまう男とだけは絶対結婚するなと言っていた。
それだけ、母は父の酒で苦労してきたのだ。
もし、父に、歌人としての「人生の顔」と、懸命に勉強していた姿がなかったら、
私は相当歪んだものを心に抱え込んでしまったと思う。
一人の男としての悲しみ
中学時代にたまたま、父が歌を詠むきっかけになった人、
石川啄木の『一握の砂.悲しき玩具』や北原白秋の詩を読んだ時に、
私は初めて、一人の男としての、
一人の人間としての父の悲しみに触れたように思った。
私は父の作る短歌が好きだったので、人生の晩年を迎え、エンジニアとしての人生が終わった今、
若い頃の夢を取り戻して、もう一度、歌人としての人生を歩んでほしいと、父が見舞いに来てくれた時に言った。
私が小学校6年の時に家族は岩手県から神奈川県に引っ越したのだが、
父は、本当は故郷の山河にもう一度抱かれたいと思い続けていたのではないだろうか。
父の感性は、都会では息ができない。
自然の息吹を肌で感じていないと心が砂漠のように渇いてしまう人なのだ。
父と母を魂の存在として見られるようになるまでは
今は、一人の人間として、一人の男と、女としての、
父と母の「人間の一生」という眼差しが持てるようになったが、
自己探求のプロセスでは、両親との関係で未完了になっていた感情が噴出してきて大変だった。
どれだけ自分の感情を抑圧して、なかったことにして前に進んできたのだろう。
自分が誰だかわからなくなっても当たり前だったのだ。
大きな壁は、人生の新しい扉だった。
新しい扉の向こうには、新しい出会いと新しい人生の風景が広がっていた。
そんな風に人生が変わっていくまでは、
多くの心の学びと内側の探求の時間が必要だった。
私は誰なのか、なんのために生まれたのか、
なぜ生死を彷徨うような大病をしたのか、
もし一人ひとりになんらかのお役目があってこの世に生まれるのだとしたら、
私にとってそれは何なのか?
自己探求は、自分の内側に大きな問いが立ったことで自然に始まった。
探求の過程で傷ついていた小さな私を癒してきた。
泣きたかった時に泣けなかった涙が、心の中でプールのように溜まっていた。
よくこんなに涙が出るものだと思うくらい泣いた。
涙が流れるたびに過去が過去になっていった。
そして、幼かった子どもの狭い知覚や認識によってできてしまったたくさんの間違った思い込みを一つひとつ手放していった。
そうすることで過去への解釈が変わっていった。
父も母も、戦後の貧しい時代の大きな影響を受けながら、食べていくことで精一杯だったのだ。
家族や会社の様々な事情の中で互いが、いつもいっぱいいっぱいだったのだ。
そして、不器用ながらも、あれが父なりの、母なりの愛だったし、愛情表現だったのだと思えるようになったのだ。
過去の解釈が変われば、新しい人生が始まる。
愛のもつれ、人生のもつれ、そのもつれた糸を解きほぐし、
元々は1本の糸で繋がりあっていた「生命の糸」を思い出すことが「私に帰る旅」だった。
そして、解きほぐされた「生命の糸」を使って私の今生の本当の人生のタペストリーを編んでいくことが、
「約束された道」を思い出していくことだった。
私のこのブログを読んでくださっている方の全てが、
『もどっておいで私の元気!』『私に帰る旅』『約束された道』
を読んでくださっているとは限らないと思うので、少しづつ探求のプロセスでの気づきを書いていこうと思う。
本を一度読んでくださった方も、ショートで切り取った文章を今の自分が見ると
また違った気づきに繋がるかもしれない。
本には、書いたけれど文書量が多いために削除された文章もあるので、それも書いてみよう。
ちょっとあやしい話もあるけれど、私にとってはその時の事実だったので、それはご愛嬌ということで。
岡部明美公式サイト
「ワークショップ」「個人セッション」「LPL養成講座」の情報はこちらをご覧ください。
書籍&CDのお知らせ
『私に帰る旅』
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角川学芸出版から刊行された本書が、
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投稿者プロフィール
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心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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