目次
時間がゆったり流れている
新居のマンションから打ち上げ花火が見れて目を楽しませてくれている。
マンションに隣接している緑と水が豊かな公園を散歩しているとトンボ取りの網と虫かごを持った子どもたちが楽しそうに遊んでいる。
しおからトンボを見ると子どもの頃の夏休みを思い出す。
大人になってからの夏は、去年も今年もそう変わらないのに、子どもの頃の夏休みは、不思議に毎年新しかった。
嬉しいことや悲しいこと、こわいことや感動も、それぞれの夏にいつも新しい体験が加わった。
時がゆるやかに過ぎていた頃だ。
「時間がゆったり流れている」と感じるのは、自分が優しい気持ちになっている時なのかもしれない。
社会に出て仕事を始めてからの十数年は全力疾走で駆け抜けるような生き方をしてきた。
この忙しかった年月は、私の中からしなやかさや、柔らかさ、無邪気さや遊び心が失われていった日々でもあった。
感情を手に負えない魔物のように思っていた。
20数年前に病によってそれまでの人生が強制終了になってから、
私はもう一度人生の夏休みを思い出すような時間をたっぷりと取ったのだけれど、
探求の初期の頃に出てきたのは、楽しい夏休みの思い出どころか、
無意識の中に抑圧してきた私の中の負の感情・エネルギーだった。
私は感情というものを手に負えない魔物のように思っていた。
人生の夏休みを楽しむどころか、浮上してきたのは、封印したはずの感情と記憶ばかりだった。
置き去りにされてきた私の中の小さな人がうずくまって、怯えて、泣いていた。
私が見捨ててしまった小さな人が、いまだに拗ねていじけて、ものすごく怒っていた。
私がないことにして進んできた時間が、凍りついて固まっていた私の中の小さな人を頑なにさせていた。
この数回のブログで「機能不全家族」の中で育ったACの私の生きづらさについて語ってきた。
前回のブログ
「仮面の言葉」には「仮面の言葉」しか返ってこない。
前々回のブログ
プラス思考の罠
ほんとうは不安でしょうがなかったんだ。
以前の私は、自分の心の中で今この瞬間に起きているほんとうの感情に気づくまでにすごく「時差」があった。
時間が経って、終わってみて、離れてみて
はじめて、
「ああ、ほんとうはこわかったんだ。不安でしょうがなかったんだ」
「ああ、ほんとうはもうやめたかったんだ。離れたかったんだ。イヤだったんだ」
「こんなに寂しかったんだ、悲しかったんだ。心細かったんだ。自信がなかったんだ」
という自分のほんとうの気持ちに気づく。
時差があるのは決まって負の感情だった。
負の感情は、感じると痛い。つらい。
自分が惨めで、弱くて、情けなくて、ダメで、愚かで、醜くくて、できなくて、恥ずかしくて、かっこ悪い自分だった。
そんな自分を見せるのがいやで、平気なフリをしたり、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせたり、
虚勢を張ったり、できる自分を演じたり、いい人であろうとしたり、人の役に立つ人間になるために頑張り続けた。
ありのままの自分を認めてほしいと思いながら、自分が自分をありのままに認めていなかった。
自分をありのままに認められない人間が、他者をありのままに認められるはずもなかった。
自分の負の感情を感じることから逃げ回っていた私は、生を見逃していたのだ。
生の原初は涙だ。
泣きながら生まれる赤ちゃん。
涙をこらえて生きていく大人。
私はいつから、悲しい時やつらい時に、人前で泣けなくなってしまったんだろう。
こわくて不安でたまらない時も平気なふりをしていた自分。
つらくて、自分がこわれていきそうな時も歯をくいしばって涙をこらえていた自分。
感動の涙は瞬時に溢れてくるのに、負の感情の涙が乾いていた。
「私に帰る旅」の道程で、私はほんとうによく泣いた。
「涙は、弱さだ」
「泣いたら、負けだ」
「ゆるむことは、危険なことだ」
「リラックスしたら怠け者になる」
「人を頼ることは依存だ」
「人に助けを求めることは白旗をあげることだ」
と思いこんでいた昔の私はどんだけ人生を闘いモードで生きてきたのだろう。
もうその人生から降りようと思って歩き出した道では、
今までこらえてきた涙が、ダムが決壊したかのように溢れてきた。
溢れ出した涙は、私の悲しみや哀しみの在り処を教えてくれた。
武装して生きてきた私の存在の奥深くにあった大きな愛を思い出させてくれた。
同時に、涙は、「歓びの在り処」をも教えてくれる「いのちの道しるべ」だった。
親軸、他人軸で生きてきた私が、自分の人生の主人公として生きるためにまずしたことが、
大自然の中で癒されること、身体の心地よさに寛ぐこと、心の安らぎの感覚を大切にすること、
私の中にすでにあった満たされていた感覚を思い出すこと、
私の内側から溢れてくる本当の想いに気づき、自分のためにそれを叶えてあげることだった。
「他人軸」の大元は「親軸」
機能不全家族で育ったAC(アダルトチルドレン)は、基本「他人軸」だ。
「他人軸」の大元は「親軸」。
親を助けるため、親の支えになるため、親の期待に応えるために生きてきた子どもだからだ。
人の顔色が気になる。
人にどう思われるかが気になる。
人の期待に応えていればうまくいくと信じている。
人が不機嫌になると自分のせいなのではないかと思う。
この「人」というのを「親」に置き換えてみると同じであることがわかるだろう。
私が心の学びの世界に入ったのは、社会に出て、
組織、会社の中での役割意識と役割行動が自分が家族の中でやっていたことと全く同じであったことに気づいたことからだった。
自分の人間関係の不健全なパターンが、
家族の関係性の未解決の問題や、未完了の感情が大きく影響を与えていたことに気づいた時からだった。
拙著『私に帰る旅』(学芸みらい社)は、
ACだった私が、自分の人生を自分の手に取り戻すために歩み出した道のりでの気づきを書き綴ってきたものだ。
読者の方からよく「自分のことが書かれているようだった」と言われる。
「最も個人的なことは、最も普遍的なことである」と言ったのはカール・ロジャーズだ。
広義の意味では日本人の8割は機能不全家族だと言われているから、
個人的なことを語ってもそこには同時に普遍性もあるのだと思う。
一番泣きたい時に泣けなかった
私はいつも強がってばかりいた。
どんなに自分が傷ついても、不安のかたまりになっている時でも、
「私は大丈夫。こんなことは何でもない、平気、平気」と自分に言い聞かせていた。
心の不安や動揺を頭で納得させて自分を保つことは得意中の得意だった。
私は、心の中で本当は起きていた葛藤や不安や淋しさから逃げるために、
どんどん仕事にのめり込んでいった。
一番泣きたい時に泣けなかったことが、
どんなことよりもつらかったんだと思ったら突然涙があふれてきた。
人生の幸・不幸は結婚で決まる
「結婚は人生最大のギャンブル」
「人生の幸・不幸は、結婚できまる」
という哲学を、
私は、子供の頃にすでに持ってしまったのだ。
私は子供の頃から、家族の中でいつも調停役だった。
父と母、双方の愚痴を聞いてあげることが、長女である私の大きな仕事だった。
喧嘩をすると1週間も十日も口をきかなくなってしまう両親を、
どうやったら仲直りさせられるだろうということにいつも心を砕いていた。
父が酒を飲んで暴れたためにこわれた電球や窓ガラスの破片を拾い集めることも、
そのうち涙も流さず淡々とやるようになった。
母が”離婚”という言葉を発する度に、私は不安になり、
家族がこわれていくのをどうやったらくい止めることができるだろうと、
子供心にも必死になって知恵をしぼっていた。
だからこの夫婦はケンカが絶えないのだ
私は、父と母が「ごめん」「ごめんなさい」と相手に言ったのを一度も聞いたことがない。
「ありがとう」と言っているのもあまり聞いたとこがない。
だからこの夫婦はケンカがたえないのだと思っていた。
板ばさみの痛みというのは、かなりつらいものがあったはずなのに、
自分がつらいということを感じていたら、
家族がこわれていくのをくい止めることができないと思って、
だんだんなんとも思わなくなってしまった。
どこの家庭にもあるように、私の家の家族史の中にも、
光も闇も、喜びも悲しみも、絶望も希望もあった。
私という人間が生まれた場所、育った場所、生きてきた場所。
それが、どれだけ自分に影響を与えてきたか計り知れない。
私の悩みは、いつもこの家族の事だった
酔って大きな声を出す父の声や、物が壊れる音に怯えていた子供だった自分。
酔いつぶれた父の世話に疲れ果てて泣く母の姿。
今月も夫の給料の大半が酒代に消えたとヒステリーを起こす母のかなきり声。
互いを責め合い、罵り合う言葉の数々。
孫の私にはとても優しいおばあちゃんなのに、嫁である母のことは、とことんいじめるおばあちゃんの姿。
次々に問題を起こし、警察のお世話になる二人の弟。
様々な事件の後始末をする私。
私はいつも、どうしよう、どうすればいいんだろうと、家族の心配ばかりしてきた。
子どもの頃の私の悩みは、いつもこの家族のことだったのだ。
家族って不思議だ
それでも私はこんな私の家族が好きだったのだから、家族って不思議だ。
二人の弟はほんとにかわいくて大好きだったし、
父と母は、なんだかんだはあっても、私にとってはかけがえのない存在だった。
おそらく私は長女というよりは、長男の役割を果たしてきたのだろう。
「この家族は私が守る」とずっと思っていた。
母はいつも「あんたが男だったらよかったのに!」
「あんたは女にしとくにはもったいない」
「あんたがいなかったら私はとっくのとうにお父さんと離婚していたと思う」
と言っていた。
私は、間違えて女に生まれてしまったように感じていた。
家族という人生最大のドラマ
自分が生まれた家族。
そして自分結婚して新しく作った家族。
そこには小説や映画の世界をはるかに凌駕する、
悲喜こもごもの物語がひそかに繰り広げられている世界なのだろう。
どこの家にも、おそらく他人からは伺い知れないような
大変な家族の現実があるのだと思う。
家族というのは、つくづく人生の最大のドラマであり、
修行の場なのだと思う。
ドラマのネタは次から次へと降ってくるようにやってきた。
でも逃げられないのだ、家族からは。
だから家族というのは、どこも大変なのだと思う。
『私に帰る旅』
(岡部明美著/学芸みらい社)より
私の人生の再編集は、私が生まれた家族の再編集の作業だった。
「過去を過去に置いて」
「いまここを全面的に生きるために」
私の自己探求の数年間は、家族の人間ドラマから作り出された私の反応パターン、防衛パターン、考え方、捉え方、行動パターンの癖を見切ることだった。
そして、幼少時代の心の傷を癒して、小さな子どもだった私の思い込み解放することをとことんやった。
このプロセスを丁寧にやってきて本当に良かったと思う。
「これが私」
「これが私が本当にやりたかった仕事」
「これが、私が作りたかった家族、家庭、暮らし」
「これが私がほんとうに生きたかった人生」
というものにちゃんと導いてくれたからだ。
2019年8月〜11月の活動予定
8月30日(金)〜9月1日(日)
◆千葉県・勝浦3Daysワークショップ
テーマ:自分の才能と強みと自分らしさを知り
イキイキとした人生を生きる。
自分の才能や強みはどこにあるのだろう?
自分らしさって何だろう?
自分の魅力はどこにあるのだろう?
そんな問いを持ちながら今を生きている人・
本気でかけがえのない自分の人生を生きたいと思う人に最適のワークショップです。
◆お問い合わせ、お申し込み
◆アドラー心理学のベストセラー作家であり研修講師であり心理カウンセラーである小倉宏さんと上谷実礼さんと岡部明美の三人のオープンカウンセリングの1Dayワークショップ。
「仕事の悩みが軽くなる!心にアプローチする1DAYワークショップ」
2019年9月21日(土)14:00~20:30
会場:亀戸文化センター
◆お申し込みはこちらから: お申し込みフォーム
◆群馬県・草津3Daysワークショップ
テーマは 人間関係・パートナーシップ・コミュニケーション。
〜親子、夫婦、恋人、友人、上司、部下、同僚、ビジネスパートナーとの関係性〜
人生の悩み、苦しみのほとんどは、人間関係によるものです。
このワークジョップでは自分を生かし、相手を活かし、幸せになるコミュニケーションを体験的に学ぶワークショップです。
◆お問い合わせ、お申し込み
◆「ボス型マネジメントからの脱却、ミッション経営の切り札1on1実践ワークショップ」
小倉広&岡部明美&上谷実礼
2019年11月29日(金)~12月1日(日)
湯河原リトリートご縁の杜
◆お問い合わせ、お申し込み
岡部明美公式サイト
「ワークショップ」「個人セッション」「LPL養成講座」の情報はこちらをご覧ください。
書籍&CDのお知らせ
『私に帰る旅』
(学芸みらい社)
角川学芸出版から刊行された本書が、
装幀も新たに学芸みらい社から刊行されました。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます
『約束された道』
(学芸みらい社)
2017年6月刊行と同時に増刷。
2018年4月第3刷決定。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます
『もどっておいで私の元気!』
( 善文社)
1996年5月刊行から22年間のロングセラー。第12刷。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます
『いのちの花』
(CD)
¥2,000
CDは講演会、ワークショップ等で販売しています。必要な方は、Facebookのメッセンジャーにご連絡下さい。
投稿者プロフィール
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心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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