人をあるがままに愛するということ

人をあるがままに愛するということ

心さえ閉じてしまわなければ

人は身近な関係性になれば何らかの問題が起きてくるのが普通だ。

人間関係は基本めんどくさいものなのだ。

家族もめんどくさい。

夫婦もめんどくさい。

男と女は超めんどくさい。

会社の人間関係もうざったい、やってられない、すごくしんどい。

たまに会う関係の人なら、自分のいい部分だけを見せて付き合えるけれど、

毎日顔を合わせるような人間関係の場合は、互いのエゴが隠しようもなく見えるので、

様々なコントロールドラマ、主導権争い、反応合戦、防衛合戦が水面下で繰り広げられる。

人間関係の問題は全て愛の学び、自己成長の学びだ。

大人になって人間関係で繰り返し起こる問題の根っこにあるのは、たいてい幼少時代の心の傷だ。

その傷が、二度とこんな悲しい思い、寂しい思いはしたくない、

二度とこんなくやしい思い、怖い思いはしたくない、

二度とこんな惨めな思い、恥ずかしい思いはしたくないと決めた心の生き残り戦略➖

それが、自動プログラムになって私たちの人生をコントロールしているのだ。

サバイバル戦略によって心にまとった鎧や仮面が人と繋がれないからだを作っていく。

大人である今の人間関係でストレスを感じるところは、古傷が疼いているところだ。

癒されることを待っているあなたの中の小さな子どもだ。

解放されることを待っているあなたの中のとらわれ人だ。

癒し、気づき、手放しができるほどに自分に向き合って来た人は、

いつもの反応パターンをやっていると気がついた後、

違う態度、言動、行動の新しい選択ができるようになる。

本当に大切な人ならば、閉じてしまったハートをもう一度開き、

自分の本当の気持ちを素直に伝えることで関係性が変わりうる可能性はある。

非難、責め、なじることは、相手の心を閉じさせてしまうだけだということをもう十分学んできたから。

心さえ閉じてしまわなければ、そのスペースに変化が生まれる可能性があるからだ。

関係性の中で起きてくる問題やトラブルは、

すべて自分自身と関係性をさらなる成長や進化、成熟、意識の覚醒に向かわせるものなのだという理解があれば、

愛は、未知なる可能性への挑戦と冒険に満ちた道になり、

人生の旅は楽しいものになるのだろう。

ガイド付きのパックツアーではない、この極めて個人的な心の旅には、「安全保障」などないのだ。

だから当然、危険や困難、不測の事態や予想外の出来事に出会うのは当たり前で、

だからこそこの旅は、神秘と創造性と挑戦にあふれた旅になるのだ。

 

恋は瞬間風速のように始まるが、、、

恋に狂うという言葉はあるけれど、

愛に狂うという言葉はない。

恋は理性がぶっ飛ぶ体験だ。

コントロールが効かない。

しかし、愛には、理性も、待つ時間も、

耐える時間も、相手を思いやる心も、

相手を尊重し、敬意を払うことも必要だ。

束縛されている感じ、自由を奪われている感じ、自分が自分でいられない感じがするのなら、それは愛ではない。

私は、”愛と病気の治療”は、とても似ているんだなあと思った。

愛と健康はどちらも、それに辿り着くために、それを得るためにかけるべき正しい時間があり、通らなければいけない”難関”が必ずあるあるという点においては似ているのだ。

愛はまさしくそうだ。

時間をかけて、山あり、谷ありと、通るべきところを通らないと納まるべきところには決して納まらない。

恋は瞬間風速のように始まり、疾風怒濤の情熱期間が過ぎると終息する。

恋がどんなに思い込みであり、渇愛、情欲から生まれる幻想の「ドラマ」だとしても、

孤独や退屈を紛らわしてくれる一時の情熱的で刺激的な「ゲーム」だと知っていても、

落ちる時には落ちるのが恋だ。

 

人をあるがままに愛するということ

でも、恋が熱病である以上、いつかは”正気”に戻ってしまう時が必ずやってくる。

美しい季節は移ろいやすく、蜜月は短い。

恋が愛に発展していくことは極めて稀だ。

甘く、楽しく、切ない恋が、愛の静寂さや寛大さに成熟していくためには、

霜が降りる季節の体験が必要なのだろう。

あらゆるつらい感情を味わう時、相手への失望、自分への絶望、無力感、自己嫌悪、

ショックに立ち竦んでしまう時、底冷えのするような寂しさ、

この広い宇宙にたったひとり放り出されたような孤独感に打ちのめされる時・・・。

こんな心を抱えて、凍えた夜の底で、眠れない夜を幾度も繰り返しながら、

人は、人をあるがままに愛することがどういうことなのかを学んで行くのだろう。

それでも人がこの道を歩き続けるのは、愛も、健康も、自分の人生にとって、

どれほど大切な宝物なのか、かけがえのないものなのかを知ってしまったからなのだと思う。

愛も健康も存在も、失うまでは、その本当の大きさがわからない。

 

依存のステージ

例えば旅をしていて、自分が迷子になった時は、

今自分がどこにいるのか、地図を見て確かめれば、

どこで道を迷ったのかがわかり、

次はどこに行けばいいのか、という方向と方角がわかれば脱出できる。

深い森で迷子になったら、木の上に登って見れば、視座が高くなり、見通しをつけられる。

人間関係で迷子になってしまった時は、

自分が相手との関係で何をやっていたのかに気づくことが唯一の抜け道だ。

個人が成長するように、関係性も成長のステージがあるのだということがわかることはとても大事なことだ。

個人が成長するように、関係性も成長のステージがあるのだということがわかることはとても大事なことだ。

パートナーをはじめとして、誰かの存在に依存し、執着し、

その存在がいなくては食べていけない、生活できない、

この人がいなければ生きていけない、と無意識に思い込んでいる状態が、

実は「依存のステージ」にいるということなのだ。

相手が自分のニーズをぜんぶ満たしてくれて当たり前と思っていたり、

自分の不快な感情は全部相手のせいだと思っている子どもの意識状態だ。

自分の幸不幸は相手によって決まると信じていれば、

自分の感情的な反応はぜんぶ相手のせいだ。

依存的な人の一番の問題は、自分の依存性に気がついていないということなのだ。

人は自分が執着している人、モノ、コトに実は振り回され続けるのだ。

特定の誰かに執着していれば、その人の一挙手一投足に振り回され続ける。

お金に執着している人が、お金に振り回され続けるように。

 

自立のステージ

自立には、真の自立と偽の自立がある。

偽の「自立」の人は、基本、

人に頼らない(頼れない)

人の甘えられない(甘え方がわからない)

人に期待しない。

人に弱みを見せられない。

弱みを見せることは負けることだから。

頼って、甘えて、期待して、当てにして、

裏切られるくらいなら

拒絶されるくらいなら、

がっかりするくらいなら、

最初から望まない。

自分でやる。

自分でできる。

自分が傷つきたくないから。

これが、実は「偽の自立」。

幼少期に親に対して、求めても得られなかった心の痛みによって

「もう二度と求めない」

と心に誓った子どもの決意なのだ。

親(人)に対して期待しないことを選んだ心の奥にある、寂しさや悲しみ、恨みを隠し持った「諦め」がある。

諦めの奥には「無力感」や「無価値観」や「罪悪感」がある。

それを隠すために強い人の「仮面」と「鎧」を被る。

そして、その「仮面」と「鎧」がいつのまにか「素肌化」してしまい、自分が誰なのかがわからなくなってしまう。

パートナーシップで、人を変えて同じパターンを繰り返している人は、

特に異性の親との関係の「未完了の感情」と「未解決の問題」を見ていくと良い。

本当は何が欲しかったのか(ニーズ)

本当は何がイヤだったのか、辛かったのか、しんどかったのかを、

大人の今の自分がわかってあげて、理解してあげて、

抱きしめてあげるインナーチャイルドワークは必須だ。

そして、幼少期の心の傷が作った「防衛パターン」と、

愛と承認を得ようとするための生存戦略が、

大人になった自分の人間関係のコントロールドラマを作っていたことを理解して、手放していく(リリース)が大事だ。

真に自立している人は、時に助けてもらうことや、相談に乗ってもらうことや

時に弱音を吐くこと、愚痴をこぼしてしまうこともいとわない。

人間は本当は脆いところもある、弱いところもある、孤独な時もあるということを十分に知っているから。

人は一人だけで生きていけるほど強くないということを痛いほどわかっているから。

その上で自分の人生に責任を取れるのは自分だということが腹落ちしているから。

 

共依存のステージ

一見仲良しカップル。

一見仲良しパートナーやチーム。

一見普通に見える関係性なので、

外から見るとそれほど大きな問題はなさそうに見える関係性。

しかし、実際は、お互いが依存し合っている状態。

依存していることに双方が無自覚な状態。

もたれあっている関係性。

必要とされることを必要としている状態。

自分と相手の区別がなくなり、

心理的に重なってしまっているため、

相手のことはもちろん、自分自身のこともうまく見えなくなってしまっているケースが多い。

出口のない助け合いをしているケースも多い。

 

「相互依存」と「共依存」は、真逆の状態

「相互依存」と「共依存」は、真逆の状態

お互いのいいところも悪いところもあるがままに受け入れている「相互依存」と、

自分の欲求を相手が満たしてくれることを当たり前のように思い、互いに相手に依存し合っている共依存。

心の境界線(バウンダリー)が引けてない状態が共依存の関係性だ。

共依存から相互依存のステージに関係性を成熟させたければ、

まずはお互いが“離れる”必要がある。

まずは、精神的に、あるいは、物理的に。

そして、お互いがどんな要求合戦や反応合戦のコントロールドラマをやっていたのかに気づく必要がある。

そして、ワンパターン化してしまったお互いの役割行動を変える決意をすることだ。

それは、過去の条件付けられた自分の反応パターンからの離脱だ。

特に依存側が、まず、自立する必要がある。

しかし、真に自立するためには、

幼少期の心の痛みを癒すプロセスと、

子どもゆえの愛の誤解を解放していく必要がある。

大人になってからの人間関係の不健全なパターンの震源地は、

ほぼ子ども時代の親との関係性の未完了のコミュニケーションにあるからだ。

 

相互依存のステージ

それぞれがしっかりと自立ができているうえで、

状況によっては、お互いに依存し合うこともできる関係性を言う。

頼ったり、頼られたり、

甘えたり、甘えさせたりと、

守ったり、守られたり、

支えたり、支えられたり、

時と状況においては、どっちもできる、やれる、やる柔軟性のある関係性。

まず、どちらも精神的に自立していることが前提で、

フレキシブルに依存したり、自立したり、

お互いの立場の入れ替えができる関係とも言える。

「相互依存」は、お互いの良い部分、悪い部分のどちらも受け入れた状態。

お互いの相違部分や、相容れない部分も認め合い、良い部分以外も許容している関係性だ。

人間関係はストレスフルなものだが、

同時に人と深いレベルで繋がって共に生きられる喜びは、

何ものにも代えられない生きる喜びを人生にもたらしてくれる。

 

 


 

【あけみちゃんねる】は現在、月に1回、“徹子の部屋”風に毎回ゲストを招いての「ライブトーク」(1時間)と

『もどっておいで私の元気!」(善文社)の「朗読YouTube・詩と音楽と映像のシンフォニー』(約4分)の2本立てのチャンネルです。

多くの方にチャンネル登録していただきありがとうございます。

【岡部明美第四回ライブトーク】
ゲスト:神渡良平先生(作家)

【岡部明美朗読YouTube Vol.2】

タイトル:見守る

 


 

岡部明美LP L養成講座の認定セラピストがオンラインで個人セッションをしています。

オンラインセッションが可能なLPL認定セラピストはこちら

岡部明美《個人セッション・ワークショップ・LPL養成講座情報》

【2021年の予定】

●ワークショップ・LPL養成講座

http://www.okabeakemi.com

 


書籍&CDのお知らせ

 

●拙著2冊以上をご希望される方は、定価の2割引き、郵送費当方負担でお送りいたします。

●お申込み(お名前・ご住所・電話・メルアド・本のタイトル・冊数を書いて下記にお送りください)

3daysbook@okabeakemi.com

 

『私に帰る旅』
(学芸みらい社)


角川学芸出版から刊行された本書が、
装幀も新たに学芸みらい社から刊行されました。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます

『約束された道』
(学芸みらい社)


2017年6月刊行と同時に増刷。
2018年4月第3刷決定。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます

 

『もどっておいで私の元気!』
( 善文社)


1996年5月刊行から24年間のロングセラー。第12刷。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます

 

『いのちの花』
(CD)


¥2,000
CDは講演会、ワークショップ等で販売しています。必要な方は、Facebookのメッセンジャーにご連絡下さい。

 

投稿者プロフィール

岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
▼詳しくはこちら
最新の投稿

Published by 岡部明美

心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問 ▼詳しくはこちら

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial