空の色が
空の色が 海の色でした
遥かな隔たりに妨げられず
空の青が海の青でした
或る人の心の空の色が
そのまま
誰かの心の海に届いている
というようなことも
ある
などと思いながら、
私は
海を
海に届いている空を
泳ぎました
正確にはー
私の海に届いている或る人の空を
『贈るうた』(吉野弘/花神社)
生命は
生命は 自分自身だけでは完結できないようにつくられてるらしい
花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不十分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべの仲立ちをする
生命は その中に 欠如をいだき
それを他者に満たしてもらうのだ
世界は 多分 他者の総和
しかし 互いに 欠如を満たすなどとは知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者どうし
無関心でいられる間柄
ときに うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?
花が咲いている すぐ近くまで 虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も ある時 だれかのための虻だったろう
あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない
『贈るうた』(吉野弘/花神社)
深く満たされてゆく時
私は好きな本は時々読み返す。
以前はわからなかったこと、ピンとこなかったこと、取り立てて感動もしなかった文章が、
ある時間が経過して、私自身がいろいろな経験を積んだ後に読むと、
なんてすごいことが書いてあるのだろう、
なんて素敵な言葉なのだろうと、
改めて新鮮な思いで読める楽しみがあるからだ。
「空の色が」を最初に読んだ時は取り立てて強い印象に残る詩ではなかった。
ところが、「人間とは何か?」「私は誰か?」
という探求をずっとしていた頃のある日ー
たまたま乗った飛行機の窓から、美しく雄大な海をずっと眺めていた。
海を眺めていたはずなのに、
ある瞬間、海が空に見えたのだ。
ドキッとした。
海は、空の影なのだと思った。
そのままずっと見ていると、
いつの間にか海と空の区別がつかなくなった。
その感覚は、私の中にも、あの人の中にも、
空と海があるのだという不思議な幸福感をもたらしてくれた。
こんな風に無心になってある対象を眺めている時、
その対象物が消えて、全てのものが溶け合ったような感覚を覚えることが時々ある。
その時、私は深く満たされてゆく。
私のどこがダメなんだろう?
「生命は」という詩は、コミュニケーションや在り方や愛とは何かということを学んでいた時期に読み直したら、
とても深く心が揺さぶられた詩だった。
人間関係でトラブルが起きたり、不調和が起きると、それまでの私はすぐ
「私のどこがダメなんだろう?」
「私のどこが悪かったのだろう?」
「私に何が足りないのだろう?」
と考え、自分のダメなところをなんとか直さなければと躍起になった。
それが自分が成長することだと信じて疑わなかった。
自分にOKなど出したら成長が止まると信じこんでいた。
自分を愛するなんてナルシストじゃないか、気持ち悪いとさえ昔の私は思っていたのだ。
しかし、真理は確かに逆説的だった。
自分のいいところも悪いところも、光も闇もひっくるめて自分にOKを出せるようになったら、
人のいいところがいっぱい見えるようになり、人と深いレベルでつながれる自分になっていったのだ。
自分が変わるというのは性格が変わるというより、
自分の感じ方が変わり、ものごとの受け止め方、解釈が変わっていくことで、より自然体の自分になっていったという感じだ。
そういう時期に昔読んだ時は軽く受け流していたこの詩が、深く心に響いてきたのだ。
人は欠如しているものがあるからこそ、他者とつながりたいと願うのだと思った。
その思いでつながれた他者によって私は生かされ、
同時にその他者を私も生かすのかもしれない。
「不完全」であることで「完全」であるという生命の働き。
欠如とは、実は贈り物だったのだ。
欠如を満たすもの、それが大きな意味での愛なのだろう。
愛という一体感への欲求やつながることへの欲求は、
欠如という無意識の切なさが突き動かすのかも知れない。
インナーチャイルドを癒す
「空の色が」と「生命は」の詩が深く響くようになった頃は、
自分自身が心の学びの中で機能不全家族のAC(アダルトチルドレン)であったことに気づき、
自分のインナーチャイルド(傷ついた内なる子ども)癒すことをやっていた時期だったった。
人前で泣くなんてかっこ悪い、泣くなんて弱い人間のすることだと強気で生きてきた自分が、
よくこんなに泣けるものだと思うくらい涙が次から次に溢れてきた。
そして、自分のインナーチャイルドが自分を守るために、人からの愛と承認を得て生き延びるために、
無意識レベルで決めたサバイバルパターンが、コミュニケーションにおいて不健全なドラマを作っていたのだということも理解していった。
自分のこれまでのパターンを知ることは痛くもあったが、
自分らしい人生を生きるための目覚めの大きな一歩になったことは間違いない。
そして、自己成長と関係性の成長のプロセスの進展を学べたことで、
今自分がどのステージにいるのかもわかり、
成長の課題は何かということも理解できるので心理的にすごく楽になったのだ。
これは、男女のパートナーシップだけでなくあらゆる人間関係で起きてくるプロセスの進展の構造だ。
一緒にいるのに孤独
最初の詩の1つ目はロマンス期、2つ目の詩は、パートナーシップの成熟期である「相互依存」のステージの関係性の質だ。
パートナーシップも季節のように春夏秋冬があるのだ。
【ロマンス期=ハネムーン】の時期は、恋は盲目、アバタもエクボ状態。
相手のいいところがいっぱい見えて大好き状態。会いたい、一緒にいたい、一緒に暮らしたいと願う時期。
夏の太陽のような情熱の季節だ。
まさに世界は二人のために、という季節。
しかし、蜜月は短い。永遠に続くように思えた二人の関係性に変化が起きてくる。
ロマンス=ハネムーンのステージの次は、
【ルーティン】のステージだ。
結婚した人は家庭運営のために、同棲を始めた人は2人の暮らしのために、
秋の収穫作業のように互いの仕事や役目を黙々とやる季節だ。
だが次第に気持ちのコミュニケーションよりも、互いの役目、仕事がちゃんとできているかどうかが重要なっていき、
関係性の中に義務、役割、責任のベキ・ネバが入ってくる。
心が通いあわないことの寂しさを覚え始めるのがこの時期だ。
このステージの後に来るのが、
【パワーストラグル】つまりケンカが絶えない時期。
主導権争いのパワーゲームや、
相手が自分の思い通りにならないことでイライラが噴出してくる時期だ。
思ったような反応が相手から返ってこないことで失望していくことも増えていく。
互いの価値観の違い、やり方の違い、家風の違いなど、
“違い”がイラつき、腹ただしさに変わりケンカが多くなる時期だ。
まるで冬の季節のようにお互いの心に隙間風が吹き始める。
冷たく寒い関係性に互いが悩みはじめ、寂しさ、虚しさを感じる。
この関係性が長く続くと、
【デッドゾーン】に突入する。
厳冬の季節だ。
一緒にいるのに孤独を感じるが、どうしていいか全くわからない状態。
一人で悶々と悩むが、出口が見えない状態だ。
別れるも地獄。一緒にいるのも地獄。
天から見放されたような寂寞感。
生きていることの意味さえ見失っていくとてもつらい時期だ。
この【デッドゾーン】の時期に自分に向き合うことを始めた人は、
【相互依存】のステージに行ける可能性がある。
「私も向き合っているのだから、あなたも向き合ってよ!!」
という要求、取り引き、駆け引きなしに、
ただ自分の成長の課題に取り組むことが大事だ。
この自分の課題に取り組む過程では、今まで全く気づかなかった、
依存、共依存、偽の自立、投影、転移、機能不全家族、AC(アダルトチルドレン)、インナーチャイルドの問題に向き合わざるを得ない人も多いだろう。
パートナーシップでいつも同じパターンを繰り返す人、
いつも同じ感情を味わい、同じ結末になる人は自分の心の傷を癒し、
その傷の痛みの奥にある本当の願いや祈りや深い歓びの質に出会うと世界の見え方が変わってくる。
自分の防衛パターンや無意識のコントロールドラマに気づいたら、瞬間、瞬間、手放すことを選択し、
つながり、ハートを開く、歓び、幸せ、愛を選択する。
自分の成長の課題に向き合い、自分を癒し、自分が自分にかけていた制限を取り外していくと、
結果として関係性に変化が起きてくる可能性は高くなる。
自分を満たし、自分がご機嫌でいられること、自分の心が平和でいられることを選択し続けていると、
相手の態度も自然に変わってゆくという可能性に開かれいく季節だ。
頼ったり、頼られたり、甘えたり、甘えさせたり
お互いの長所も短所も含め、ありのままに許容している状態が『相互依存』の関係性のステージだが、
このステージに行くためには、何度も暴風雨が吹き荒れ、雪も雹も霰も降ってくる。
降っていいのです。嵐になってもいいのです。
そうじゃなきゃ、自分の本音も相手の本音もわからないから。
互いの本音を押し殺したままの関係性の不健全さ、淀んだ空気くらいしんどいものはない。
「相互依存」のステージなど一気にスムースには行けないのだ。
どれだけのドンパチと自分と相手への失望を経験することか。
「相互依存」のステージは、それぞれがしっかりと自立ができているうえで、
状況によっては、お互いに依存し合うこともできる関係性だ。
まず、どちらも精神的に自立していることが前提で、
フレキシブルに依存したり自立したり、お互いの立場の入れ替えができる自由で柔軟な関係とも言える。
助けたり、助けられたり、甘えたり、甘えさせれてあげたり、支えたり、支えてもらったり、頼ったり、頼られたり、
ということが、どちらか一方だけの役割に固定していない柔らかな関係性だ。
「相互依存」は、お互いの良い部分、悪い部分のどちらも受け入れている状態だ。
互いへの尊重と信頼と感謝と真実のコミュニケーションができている関係性だ。
その上で違和感や不都合があれば、
願わくばこうしてもらえると嬉しいという、
自分の本当の気持ちも伝え、双方が歩み寄れる地点を共に探そうというコミュニケーションができる関係性ー
それが「相互依存」という成熟した大人のパートナーシップだ。
人間関係や男女関係やパートナーシップについて学びたいという方は、
「エニアグラム」「キャラ口ロジー」「傷つくならば、それは愛ではない」「恋愛脳」「夫婦脳」「愛し過ぎる女たち」「愛と怖れー愛は恐れをさば折りにする」あたりから読んでみるといいでしょう。
次回のブログではさらに人間関係、パートナーシップのことで知っているだけでも違うよということを書きたいと思う。
YouTube【あけみちゃんねる】は現在、月に1回、“徹子の部屋”風に毎回ゲストを招いての「ライブトーク」(1時間)と
『もどっておいで私の元気!」(善文社)の「朗読YouTube・詩と音楽と映像のシンフォニー』(約4分)の2本立てのチャンネルです。
多くの方にチャンネル登録していただきありがとうございます。
【岡部明美 朗読Vol.06】
タイトル:自立
【岡部明美第8回ライブトーク】
ゲスト: ティム・マクリーンさん 高岡よし子さん(シープラスエフ研究所 代表取締役・取締役)
岡部明美LP L養成講座の認定セラピストがオンラインで個人セッションをしています。
岡部明美《個人セッション・ワークショップ・LPL養成講座情報》
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心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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