プラス思考の罠

プラス思考の罠

自己犠牲的な生き方

犠牲

自己犠牲的な生き方は、一見、甲斐甲斐しく、一生懸命で、やさしさと愛情に溢れた行為のように見える。でも、本当は、相手や周囲の人たちに「感謝することを求める気持ち」「自分を評価してほしい気持ち」「依存したい気持ち」が心の奥に潜んでいる。

自分を犠牲にして「相手のために」「子供のために」「家族のために」「会社のために」生きていると、自分が納得するような認められかたをしないときに、不平不満がつのっていく。

見返りや評価を求める自己犠牲には、心の満足感や、やすらぎはやってこない。

そして、相手への依存度が高くなればなるほど、その対象を失う恐れが自分を縛り、心の柔軟性が失われてゆく。

自分がしたいからやっている、自分が好きだからやっている、自分のためにやっている。

それが、結果的に誰かの役に立ち、社会の役に立っていることに気づいたとき、本当の心の満足とやすらぎがやってくる。

『もどっておいで私の元気!』
岡部明美著/善文社

 

 

機能不全家族とアダルトチルドレン(AC)

25年ほど前のこと。

自己探求が始まり、自分の内側に目が向き始め、心の世界を学び始めた時に、

「機能不全家族とアダルトチルドレン(AC)」

という概念を知った時は衝撃だった。

まるで我が家のこと、私のことではないか、これは!!

と思った。

アルコール依存症の父とヒステリックな母親、

両親の諍いの調停役ばかりやっていた子ども時代の私。

小さな私は、子どもなのに親の役割をやっていたのだ。

おそらく傍目には、私はいつも明るく元気で活動的で、

自分のやりたいことをやり、自分らしく生きているように見えていたかもしれない。

しかし、私自身は自分の内側深くに、汚泥のような暗さと重さと生きづらさを抱えていたことを知っていた。

自分の中にある小賢しさや傲慢さやプライドの高さや嘘やごまかしがたくさんあることも知っていた。

それらを見ようとせず、認めようとせず、人から認めてもらえる自分を作ってきた。

自分の中に本当はある認めたくない自分、許しがたい自分を他者に投影しては、

同じものを持っている人を嫌い、苦手意識を持ち、批判的に見ていた。

それが自我の防衛手段であったことも心の学びをする中で理解していった。

同時に、機能不全家族の中で必死に生きてきた自分の中にいる小さな子は、

どれほど健気に両親の不和の調停役をやっていたのか、

弟たちが次々に起こす不祥事の後始末に奔走していたのかということもわかってあげられた。

わがままに自分勝手に生きてきたと思っていたが、

「犠牲」の詩に書いたように、私が愛のように思っていたことは

「犠牲」の上に成り立っていたものなので、

「私はこんなに頑張っているのに」

「私はこんなに我慢しているのに」

「私はこんなにやってあげているのに」

と、相手が自分が期待していた反応を返してくれない時は、

心の中で「、、、のに」と「のにのつぶやき」がやまなかった。

 

人は誰も心の中に幼少時代の傷を持っている

写真

人が自分のアルバムに貼ってきた写真は、ほとんどが自分の人生の「ポジフィルム」。

「ネガフィルム」は心の中にしまいこまれたまま、思い出すことさえ自分自身に禁じられた。

自分以外の誰もみたことがない悲しみの写真の何枚か。

アルバムに貼られた写真はいつかセピアカラーになってゆくのに、心の奥深い所にしまわれた写真たちは、しまいこんだ時の色のまま、傷ついた心のまま、ひっそりと生き続ける。

その何枚かのネガフィルムがあるために、過去を振り返ることには心の痛みがともなう。

キラキラと輝いていた日々、無邪気に笑っていた日々もたくさんあったはずなのに、思い出すことが苦しみにつながるそれらの写真が過去を曇らせ、光に溢れていた日々さえも遠くに追いやっていた。

人は誰も、心の深い部分に子供時代の傷をもっている。

記憶の彼方に追いやったはずの心の痛みが、自分の生き方に想像以上に影響を与えていることを知ったとき、震えていた。

「小さな小さな存在」だった自分を癒したいと思った。

自分を取り戻すために、もう一度自分を生きるために。

『もどっておいで私の元気!』
岡部明美著/善文社

 

世の中のプラス思考には罠がある

自分のネガティヴさに向き合うことなきプラス思考は、

自分の存在を丸ごと受容することを阻む。

「抑圧された感情」や認めがたい自分、許しがたい自分の中のある側面は、

他者に「投影」され、大人になった自分の人間関係で、攻撃や防衛のコントロールドラマを作る。

なぜかいつもあるタイプの人にイラっときたり、ムカついたり、ザワついたり、

嫌悪感を抱いたり、苦手意識を持ったり、

ある人のある言動、態度に過剰反応してしまうという時は、

幼少時の親子関係や友達関係での古傷が疼いているのであり、

マイルールを脅かされていると感じている時なのだ。

自己の内側で抑圧された感情や排除された自分、禁止されたことは、

大人になった自分の人生で、

「それを見なさい」「そこを見なさい」
「その感情を味わいなさい」

というようなことがちゃんと起きてくる。

ネガティヴな感情を感じること、ネガティブな自分を見ることはとても痛い。

しかし、陰極まって陽となるという言葉通り、

感じ尽くされ、承認されたネガは、不思議なことに、自然なかたちでプラスに転換されるのだ。

そして、本当はもらっていたものを思い出してゆき、

愛されていたことを思い出してゆく。

たとえそれが、自分がほしいような愛し方ではなかったにしろ。

不器用だった親のあれが精一杯の愛情表現であったことを知る。

親自身もまた自分の親との関係で傷を抱え、本来もらえたはずのものがもらえなかったりして、

子どもをどう愛していいかわからなかったということもある。

不健全な家族や人間関係を作り続けてきた人は、

誰かがここでその「負の家族連鎖」を断ち切ると決めないと、

無意識に自分の子どもに受け渡してしまうのだ。

過去をちゃんと過去に置き、本来の自分を思い出し、

忘れていた自分、置き去りにしてきた自分、ないがしろにしてきた自分の中の小さな人のエネルギーが、

ネガの向こうに自然に立ち現れてくるという体験はなんとも言えない喜びを運んできてくれた。

 

ネガが反転してポジになる。

私は昔から超プラス思考で自立志向だった。

ネガティブの奥に真のプラスのエネルギーがあることなど昔の自分は信じられなかった。

しかし実際、「生」のネガである「死」に向き合わざる得ないことが人生に度々やってきて、

ネガに向き合わざるを得なかったのだ。

自分の本当の願いや意思、こうしたい、こうありたい、これがしたい、こう生きたい、は

ネガが反転してポジに変わった時に本当に立ち現れてきたのだ。

モノクロの写真に色がついた感じだった。

広義の意味での機能不全家族は日本人は8割くらいだというから、

大なり小なり、皆アダルトチルドレンの要素はあるのだと思う。

それはそうだ。車を運転するためには全員が自動車教習所に通って、練習して、

試験受けて合格しなければ、車は運転できない。道路を走れない。

でも、子育てだけは教習所がなくていきなりぶっつけ本番なのだから。

それも多くの場合、まだ人として未熟な20代に子どもを育てるわけだから。

子どもは親に無条件の愛を求めるが、

まだ年若い親自身もまた、夫婦関係で、嫁姑関係で、お金や仕事のことで悩み苦しみ、

問題を抱えながら必死に子育てしているのだ。

だから幼少期の心に傷のない人などを本当はいないのだと思う。自分の内側をちゃんと見てみれば。

自分の中で生きられなかった子、置き去りにされていた子、忘れられた子、認めてもらえなかった子

そのミッシングパートを自分の中に取り戻して抱き締めてあげると、自分のいのちの全体が輝き出すことを、

私は自分自身の体験からも、多くのクライアントさんや受講生さんの自己探求に帆走させていただいて、心からそう思う。

「お帰り、わたし!」

「ただいま、自分!」

「ただいま、世界!」

である。

無邪気な子どもとして生きられずに大人になった人

アメリカのセラピスト、クリッツバーグ(Kritsberg,W)が 1985 年に出した、

『ACOA 症候群(The Adult Children of Alcoholics Syndrome)』

という本は、成人してアダルトチルドレンとなった人々が、

子ども時代に「機能不全家族」のなかで、どのような役割を担わされていたかについて言い表したものだ。

アダルトチルドレンとは、

子供時代を子供らしく無邪気に過ごすことが出来ず、

そのまま大人になった人たちのことを指す。

これらの子どもたちに共通しているのは、

・自分の欲求や都合ではなく、たえず親の機嫌や顔色、親から期待されているものやコトに応えること、

・家の中の雰囲気を優先して物事や行動を決めていること。

子どもたちは、意識してそのようにしているのではない。

無意識の言語、態度、すなわちふるまいとして出てくるのだ。

そのため、そういう家族の中での役割を自分が担っていることは、当の本人にはわからないのが通例だ。

親に全てを依存しなければ生きていけない子どもにとって、

親は権威だ。この親という権威に対する自分の反応パターンや防衛パターン、承認を求める欲求は、

教師や講師や医師などいわゆる「先生」と呼ばれる立場にある人、

社長や上司など目上の人に対する思いや態度や反応として現れる。つまり投影だ。

 

人生の不条理に泣いてきた人だからこそ

「アダルトチルドレン」とは、

もともと、「アルコール依存症の親のもとで育ち、

すでに成人した人々」(Adult Children of Alcoholics, ACA, ACoA)を指す言葉で、

1970 年代アメリカの社会福祉援助などケースワークの現場の人たちから発生した概念だ。

さまざまな変遷を経て、現在の「アダルトチルドレン」の概念は「機能不全家族で育った人」へと広がっている。

よって、「アダルトチルドレン」とは医学的な診断名ではない。

実は、「対人援助職」(ドクター、ナース、カウンセラー、セラピスト、ヒーラー、コーチ、コンサルタント)の仕事を天職としてやっている人は、

大なり小なり、機能不全家族の中で育った方が多い。

自分自身の苦しみの体験を通して、人の痛みに共感できる人間になり、

人を心からサポートできる人間の器が育つからだろう。

自分に向き合うことをしてきた人は、傷は癒されて恵みとなる。

人生にあまりに困難や試練が多かった人、

人生の不条理に泣いてきた人は、

その嘆き悲しみを経験し、超えてきたからこそ、

そこに自分にしかできない「いのちの仕事」(ミッション)があるのだ。

嘆き、悲しみ、苦しみは、菩薩行の道。

天命、使命につながる道。

 

広義の意味での“機能不全家族”チェックシート
機能不全家族かどうかのチックは下記のリンクよりチェックしてみてください。

機能不全家族チェックシート

子供なのに親の役割を生きてきた

確かにどこの家庭でも、これらの中に大なり小なり当てはまるものがあるだろう。

しかし、機能不全家族では、これらのことが、

たびたび発生し、日常化しているところに問題があるのだ。

そして、子供がまさに生き延びるために、

親からの愛と承認を得るために、

あるいは、家族を崩壊させないため に、

けなげにある役割を無意識に担って生きてきたということだ。

親の感情を自分の感情と同一視してきた子も多い。

そして、その 感情パターン、行動パターンは大人になっても続き、

人との間に適切な心の境界線(バウンダリー)を引けず、

共依存(必要とされることを必要とする)不健全な人間関係のドラマを繰り返してしまう。

アダルトチルドレンは、ある種の生き辛さを抱えて生きてきた人が多く、

大人になっても人や状況を変えて 、同じ心の痛みを味わうということを何度も経験する。

子供はどのような環境に置かれたとしても、

そこから抜け出す術を知らないし、

そこから抜け出すことは年齢が低いほど不可能だ。

アダルトチルドレンは、家族の中で自分が生き延びるためのある役割を背負っていることが多い。

役割を背負った子供は、子供なのに親の役割、大人の役割を担う。

無邪気な子供として楽しい子供時代を過ごすことが出来ず、

自分の感情を押し殺し、傷つきながら生きてきた人が多い。

本当の依存期にちゃんと依存できなかった子は、自分で立つしかなかった子で、

人に甘えられず、頼れず、委ねられず、ぜんぶ自分が背負い込んでなんとか自分で解決しようとがんばる。

それは偽の自立なので、人生のどこかの時点でバーンアウトすることが多い。

私自身もまたそれを経験して、生き直しをしてきた人間だ。

アダルトチルドレンの9つのタイプ

次回のブログでは、典型的なACの9つのタイプ

1)ヒーロー (Hero/英雄)
周りの期待に応えようと、がむしゃらに頑張るタイプ

2)スケープ・ゴート (Scapegoat/生贄)
問題を起こすことによって、周りの注意を集めようとするタイプ

3)リトル・ナース (Little Nurse)
他人の問題でも、自分のことのように一生懸命になるタイプ

4)プラケーター (Placater/慰め役)
苦しんでいる人を見ると慰めてあげたくなるというタイプ

5)ピエロ (Clown/道化師)
問題があったときでもおちゃらけてごまかそうとするタイプ

6)イネイブラー (Enabler/支え役)
親気質で、世話好きなタイプ

7)ロスト・ワン (Lost One/いない子)
おとなしく、あまり自己表現をしないタイプ

8)ロンリー (Lonely)
自分の殻に閉じこもり、他者を寄せ付けないタイプ

9)プリンス・プリンセス (Prince・Princess)
自分の意思とは違っても、周りが正しいと言うとおりの行動をとるタイプ

について書くつもりです。


 

2019年5月〜8月の活動予定

 

6月24日(月)〜6月26日(水)

◆安曇野3Daysワークショップ

『男と女のパートナーシップ』〜自分を愛することからはじまる、活かしあうパートナーシップの創造〜

私たちの悩み、苦しみの殆どは人間関係によるものですが、

中でも最も難しいのが男女の関係ではないでしょうか。

逆に言えば、恋人との関係や夫婦関係が良好である時の幸福感は何ものにも変えられません。

愛ゆえの依存や執着やコントロールで私たちは苦しみますが、全ては愛を学ぶレッスンです。

自分を愛することから始まる真のパートナーシップの探求を始めてみませんか。

◆お問い合わせ、お申し込み

安曇野3Daysワークショップ

 

 


7月1日(月)〜3日(水)

◆岐阜・美濃3Daysワークショップ

テーマは、人間関係・パートナーシップ・コミュニケーション

人生の悩み、苦しみのほとんどは、人間関係によるものです。

このワークショップではまず自己理解、他者理解を深めるため「心の仕組み」や「エニアグラム性格の9つのタイプ」を学びます。

そして、自分を活かし、相手を活かし、幸せになるコミュニケーションを体験的に学ぶワークショップです。

◆お問い合わせ、お申し込み

岐阜・美濃3Daysワークショップ

 

 


8月30日(金)〜9月1日(日)

◆千葉県・勝浦3Daysワークショップ

テーマは、自分の才能と強みと自分らしさを知り

イキイキとした人生を生きる。

自分の才能や強みはどこにあるのだろう?

自分らしさって何だろう?

自分の魅力はどこにあるのだろう?

そんな問いを持ちながら今を生きている人・

本気でかけがえのない自分の人生を生きたいと思う人に最適のワークショップです。

◆お問い合わせ、お申し込み

千葉県・勝浦3Daysワークショップ

 

 


岡部明美公式サイト

 

「ワークショップ」「個人セッション」「LPL養成講座」の情報はこちらをご覧ください。

http://www.okabeakemi.com

 


書籍&CDのお知らせ

 

『私に帰る旅』
(学芸みらい社)


角川学芸出版から刊行された本書が、
装幀も新たに学芸みらい社から刊行されました。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます

『約束された道』
(学芸みらい社)


2017年6月刊行と同時に増刷。
2018年4月第3刷決定。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます

 

『もどっておいで私の元気!』
( 善文社)


1996年5月刊行から22年間のロングセラー。第12刷。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます

 

『いのちの花』
(CD)


¥2,000
CDは講演会、ワークショップ等で販売しています。必要な方は、Facebookのメッセンジャーにご連絡下さい。

 

 

 

投稿者プロフィール

岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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