「大切な存在」が消えていった夜は

「大切な存在」が消えていった夜は

 

 共に過ごした月日が

大切な存在が消えていった夜は、

ベランダに出て空を見上げる。

消えていった存在が、人であろうと、飼っていたペットであろうと同じだ。

共に過ごした月日が、寂しさと懐かしさと愛おしさを募らせる。

光に還っていった存在の余韻は、

自分の体のハートの辺りに微かな震えとして

今尚、確かに「在る」と感じられる。

意識をその「存在」に向けた時は、

いつでもその存在は、私と共に「在る」

そして「形あるもの」をこの「形」として、

今日まで在らしめていた、より大きな存在に想いを馳せる。

 

ただ「感じていたい」

人工的な光がたくさんある都会では、

大自然の中で見る星の光ほど、目を奪われるような夜空には出会えないけれど、

なぜか「喪失」する度に不思議と夜空に瞬く星を見る。

ただ「感じていたい」のだと思う、

目の前から消えていった「存在」を。

夜空の美しい星を見る度に、

私の人生に関わってくれた愛おしい存在たちを思い出す。

この数年大切な人たちが光の世界に還っていった。

星を見ていると在りし日の彼らの声が聴こえてくるようだ。

15年間飼っていたインコのチッチも一昨日にいなくなって、

あんな小さな存在だったのに部屋の中がしーんと静まり返っている。

「ただいま」と帰ったら、ピピピと鳴きながら鳥かごから飛び出してくる存在がもういない。

動物があまり好きでない人、家でペットを飼ったことのない人はわからないかもしれないけれど、

ほんとうに「ペットロス」ってある。

ペットというよりもはや家族の一員だから、飼っている家族にとっては。

マンション暮らしになってからはずっとインコだったが、

子ども時代はずっと犬を飼っていた。5匹の名前は今でも覚えている。

死んでしまうと悲しくて、

「もう二度と犬は飼わない」

って心に誓うのに、1年もするとまたどこからか拾って来て飼うのだった。

そういえば子どもの頃も、飼っていた犬が死んだ日の夜は、

星空を眺めていたなあと思う。

 

光の世界では

私たちの毎日の夜の闇を照らしてくれている星たち。

もうすでに物質としては存在していない遠い遠い“過去”の星たちが、

光となって、私たちが”今”生きている世界を照らしてくれている。

何十億年もかかって光が旅してきたその姿を今の私が見ている。

そして、その星の光が、明日の世界も照らし続けるのだ。

過去の星の光が、現在も未来も照らし続ける光になる。

光の世界では、「過去」も「現在」も「未来」も同じひとつの世界なのだ。

 

あの星のかけらからできているのかもしれない

天体望遠鏡でのぞけば、100億光年向こうの星の姿だって見られる。

不思議だ。

なぜ、100億年前の星の姿を、今の自分が見られるのだろう。

100億年前なんて、地球は存在していないわけだし、ましてや自分なんか影も形もないはずなのに。

でもこの私のからだは、本当は100億年前のあの星のかけらからもできているのかもしれないし、

あのプレアデス星団、アンドロメダ星雲、オリオンやシリウスやペガサスの星のかけらからだってできているかもしれないのだ。

 

その時には、そのことだけを体験するために

「私であるところのエネルギー・意識は」は、

100億年前にもあったかもしれない。

そう思うとなんだかワクワクする。

100億年前の星を今の自分が見ているということは、

本当は今しか存在してないということではないか。

100億年前と今を同時に体験できる不思議。

「永遠」とは実は「今」であることの神秘。

なぜ人は、時間のあるこの三次元の世界に肉体をもってはるばるやってくるのだろう。

きっと、この三次元の世界の”体”を通して、

1つひとつ順番に、その時には、そのことだけを体験するために時間があるのではないだろうか。

文字通り、体とは、”体験”するための道具、ツールだ。

 

「社会的時間」という「制約」の中で生きている

体があるということは、同時にふたつの体験はできない。

違う場所には同時にいられない。

体があるからそ、”今・ここ”での体験に集中し、

そこから私たちはかけがえのないものを味わうことができ、大切なことにも気づける。

時間は幻想であると言うけれど、

この星の「社会的時間」という制約の中で生きている私たちの

「いま・この時」しか味わうことができない貴重な体験を私は大事にしたい。

 

 「精神の荒野」「生の蹉跌」

時間は、体があるあらこそ意味を持ってくる。

時間のある世界だから、順番に体験してきたことがすべて生かされ、

その体験がその人の血となり肉となって行くのだ。

今、自分がとても幸せで、満たされていて、自由であることを謳歌している人のほとんどは、

過去の時間の中で、相当の苦しみや嘆きや悲しみを体験してきている。

私は、そんな「精神の荒野」「生の蹉跌」を一生懸命に生きてきた人がとてもいとしい。

どれだけ歯を食いしばってがんばってきたのだろう。

どれだけ一人で泣いてきたことだろう。

どれだけ胸が引き裂かれるような痛みをこらえて生きてきたのだろう。

 

 あの体験があったからこそ

しかし、そんな「精神の荒野」を生き抜いて来た人はみな、歳月を経て、

「あの体験があったからこそ、今の自分がいる」

と異口同音に言う。

それは、嘆き、苦しみ、悲しみにくれたあの日々が、自分の今生でのお役目に導いてくれていたのだということが、

腑に落ちてこそ初めて言える言葉だろう。

あの日々に自分の人間としての器が大きく育っていたのだということがわかり、

自分が歩いてきたこれまで道を愛おしく思えるようになったからこそ言える言葉でもある。

まだとてもそんな心境にはなれないと思うときは、自分を癒す時間がまだまだ必要なのだ。

癒やされるにつれて、過去が再編集され、ある日、ふとそんな想いになれる日が来るから。

時間の持つ意味、体という”体験の器”をもって生まれてきた意味は、

苦を、生のもたらす”恵み”や”実り”へと変容させることにあるのだと思う。

時間はその時に眩い光、輝きとなってその人の人生を照らしだす。

 


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岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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