インナージャーニーへの誘いMy Journey of Finding the True Self

インナージャーニーへの誘い
My Journey of Finding the True Self

人生の旅には2種類ある

「観光」というと一般的には、各地の名所旧跡、神社仏閣、パワースポットなどを見て歩くことが多いが、実は、「観光」には2種類ある。

自分の「外側」にある世界の素晴らしさ、美しさ、神聖さ、豊かさを見て味わう旅。

「観光」が文字通り、外側の光を観る、外側の光に触れる旅になる。

もう一つは自分の「内側」の旅「インナージャーニー」だ。

「インナージャーニー」は、自分の内側にある暗闇に光をあてていく作業だ。

傷を恵みにしていく作業でもあり、本来の自分を思い出していくプロセスでもあり、

いのちの痛みをミッションにつなげて、すでに「内在する光」を発見していく旅とも言える。

古くはビートルズ、最近ではスティーブ・ジョブズをはじめとして、

富と名声を得て人生の成功者として輝いて見えている人たちの多くが、

実はインドやチベット詣でをしたり、座禅、瞑想の世界に入っていく。

物質世界の成功や豊かさが、必ずしも幸せをもたらさなかったということを知ってしまった人たちは、

生きることの本質を求めて「インナージャーニー」の世界に旅立っていく。

ある意味、それは自然ないのちのバランス感覚なのだと思う。

 

出口を求めて彷徨っているうちに

しかし今は、富も名声も得たわけでもない市井の人々にも、

この自己の内側に目が向き始めている人がとても増えている。

これまでの人生が完全に終わっってしまったというような出来事が起きた人、

行き詰った挙句に完全にバーンアウト(燃え尽き)してしまった人は、

出口を求めて彷徨っている内にいつのまにかインナージャーニーをはじめていたという人も多い。

はたから見たら何不自由なく生きている人の心の奥底にある、

空虚感、孤独感、疎外感、虚無感、この世界への違和感、、、

これらはすべて「インナージャーニー」への誘いだ。

私のこのブログには、日々の徒然も書いているけれど、

大切なテーマとして個人の意識の変容と、この時代の意識(人々の集合意識)の変容について書いていこうと思っている。

今、地球レベルで本当に大きな変革の時を迎えている。

日本の社会も地殻変動を起こしながら、あらゆるものが「古い秩序」から「新しい秩序」に向かって動き出している。

このような「時代の意識」が、今を生きる個々人に影響を与えないわけがない。

 

「どうしたらいいんでしょうか?」

「インナージャーニー」は、外側の誰か偉い人に「どうしたらいいんでしょうか?」

と答えを尋ね、やり方や解決策を教えてもらうのとは明らかに道が違う。

あくまでも自分の内側に問いが立っていることが大切で、

だからこそ自分の中に答や真実を発見していく自己変容の旅になるのだ。

外側の世界だけに意識のベクトルを向けていた人生とは全く違う、

新しい目(視点・視野・視座)が人生にもたらされていることを後になって知るのだ。

闇はただ光の不在。

気づきの光が増えていくにつれて人生に変容が起きてくる。

自分にとってほんとうに幸せだと思うこと、豊かだと感じることの物差しが変わっていく。

「感じ方」が変わってくると「在り方」が自然に変わっていくのだ。

その「新しい目」と本来の自分の「在り方」で外側の世界を旅すると、

もう以前とは世界の「見え方」が全く変わっていることを感じる。

今連載しているのは、私自身のインナージャーニーの事始めなので、

ほんとうにたどたどしい歩きだったけれど、

その一歩一歩がすべて今の道につながっていることを感じる。

この頃はよもや自分が将来カウンセラーやセラピストとしてプロフェッショナルになるなど想像だにしなかった。

ただ自分を知りたくて、本来の自分を取り戻したくて歩いていた道だった。

前回のブログ
心は見えないし、愛は形がないのだから

今回はこの続きです。

私は今でこそ、人生の最終の旅路を歩んでいる母に心から寄り添うことができるようになり、母に感謝できるようになったけれど、

それはインナージャーニーの旅で、両親との関係性の中にあった「未完了の感情」や「未解決の問題」を癒し、リリースしてきたからだ。

 

同じパターンを繰り返している!

家族と別れて暮らしはじめても、その感情処理のパターンは同じだった。

それを感じていたら痛すぎる感情、生きていけない感情は、

自動的に「ないこと」にして、前に進もうとする癖。

それは、私の無意識が選んだ、生きていくための知恵だったのだ。

家族の中で私がやってきた役割行動が見えたら、

私が大人になってから人間関係の中で繰り返してきたパターンが全く同じであったことに気づいた。

つまり、私にとって大切な二人が互いに嫌いあったり、

牽制しあったり、争ったりする間に挟まれて苦しむというパターンだ。

で、なんとか二人が仲良くなれるようにと、がんばってしまう。

私がなんとかできるという範疇ではないのに、つい”調停役”をやってしまう。

よけいなおせっかいをする。

「自分の問題」と「他者の問題」の境界線を見失い、

感じなくてもいい責任を感じ、背負わなくてもいい責任をしょいこんでいた。

そして、自分の本当の感情である、「いやだという気持ち」

「つらいという気持ち」を感じないようにして、

今目の前にある”対立“を何とかしようとがんばってしまうのだ。

ほとんどの場面では、私は自分の意見をはっきり言うし、

N0も言えるし、自己主張もはっきりしている。

でも、自分にとって大切な二人の間の板ばさみ状況になると、

自動的に家族のパターンが出てきて、

「これは私の問題ではない」

「自分たちで解決して」

という言葉すら言えなくなってしまう。

”私がなんとかしなければ“という反応が私を動かすのだ。

私は、子供時代からの家族の中の役割行動というものが、

自分の生き方にこれほどの影響を与えていたことを知り本当に驚いた。

 

自分は愛されるに値しない

人は、自分や人間や人生に対してポジティブな信念を持ったり、夢を抱いたりすると同時に、

心の痛みの体験と共に無意識に作ってしまったネガティブな信念体系と人生脚本があるということが、

数々のワークを受けていく中でほんとうにそうなんだと腑に落ちていった。

人は、自分が傷ついた時、つらい気持ちを味わった時に、無意識に何かを決める。

自分を守るために、生き延びるために、二度と傷つきたくないがために、

ある信念、信条を持ってしまうのだ。

たとえば、親から丸ごとの自分を愛してもらえなかったら、”私はいい子でなければ愛されない。いつもいい子でいよう“と決め、

自分の欲求を抑えて、人の期待に応える人生を選んでしまう。

そういうやり方で自分の居場所を作っていく。

自分の気持ちを素直に言うと、親から否定されたり、ワガママだと言われ続ければ、

“本当の自分を見せたら、人から受け入れられない“

という信念を無意識に持ち、人と表面的にしか関わらなくなる。

幼少時代だけではなく、人は思春期や大人になってからも、

心が傷つく体験をすると同じように心の中で何かを決める。

たとえば、愛する人に裏切られ、ひどく傷ついたなら、

”もう私は誰も愛さない“‘

“人は必ず自分を裏切る、自分の元を去っていく”

といういう信念を持ち、人と親密な関係になることを避けたり、

親密になっていくとわざわざ自分から関係性を壊してしまうことをする。

誰かを深く傷つけてしまったことに対して罪悪感を持っている人は、

”自分は愛される資格、幸福になる資格なんかないんだ“と思い込み、

自分が幸せになることを深いところでは許していなかったりする。

人は人生でつらい体験をした時に、無意識レベルで、

自分とは、人間とは、人生とは、世界とはこういうものだという思い込みをしてしまうのだ。

今はもう自分の環境はすっかり変わっているにもかかわらず、

その無意識の否定的な信念“(ビリーフ)に人生が支配され、

不必要な苦しみを生み出し、その信念を証明するかのように人生に何度も同じようなつらい状況を作り出してしまうのだ。

その否定的な信念、思い込みがどこから形成されてきたか気づくことによって、

私たちはもっと新しい、もっと柔軟な信念を選ぶことができるようになるのだ。

 

「気づき」こそが自由と解放への道

こういう生育歴、こういうトラウマがあるから自分はこうなったんだと人は思いがちだが、

実は強い心の痛みを経験した時に自分がそこで何を間違って”学んでしまったのか”(誤認)

自分や人や世界に対して”どのような思い込み、信じ込み、信念“を持ってしまったのかに気づくことが大切なのだ。

気づきこそが自由と解放への道だ。

それによって人は、生命の自己修復力や自己形成力が働き出し、

本来の自分を生きるという目的に向かっていけるようになるのだ。

 

人に愚痴や弱音を吐けないのは

私は今まで、自分が人に愚痴や弱音を吐けないのは、

見栄っ張りで、ええかっこしいの性格だからだと思っていたのだけれど、違うのだ。

私は、愚痴を聞かされ続けてきたことが本当につらくて、

「私は絶対、人に愚痴なんかこぼさない」

「否定的な感情を人に言うことは、人に重荷を背負わせてしまうこと」

「人を、自分の感情の捌け口、ゴミ箱にしてはいけない」

と、子供心に決めたのだった。

これが人は傷ついた時に何かを決めるということなのだ。

私は、人の愚痴や弱音や嘆きを聞くのは、たまにだったらいくらでも聞ける。

それによって相手とより深くつながれる感じがするからいやだとは思わない。

私を信用してこんなことまで話してくれたんだと、うれしくさえ思う。

実際、私が人と深くつながるのは、決してその人の”陽の部分“ではない。

その人が自分の”陰の部分”‘ 弱さや淋しさ、不安、葛藤や罪悪感や悲しみをさらけだしてくれた時、

それが私にとって共感できたり、信頼できたり、いとおしいと思えたりした時なのだ。

でも、たまにさらけ出すから、共感し、つながれるのであって、

子どもの頃に年がら年中聞かされる愚痴というのは、やはりたまらなかった。

母は、「あんたにしかこんなこと言えない」つていつも言っていたけれど、じゃあ、私は誰に言えばいいのか。

家族のゴタゴタなんか人には言いたくない。

私はいつも聞かされ続けて、溜まる一方ではないか。

 

言わなきゃよかった   

私は、「愚痴や弱音は絶対に吐かない」という信念を持ってしまったために、

人に自分の弱さをさらけ出すことや、助けてもらうことが苦手だったのだということに初めて気づいた。

なんでもひとりで解決して、事後承諾として、

あの時はこうだったと報告するパターンを繰り返してきたのだ。

たまに我慢の限界がきて、人に愚痴や弱音を吐いてしまった後は、

後味が悪くて、罪悪感や後悔が生まれた。

言わなきゃよかったと思った。

これも自分の信念を裏切るように思うから出てくる感情であったということに気づいた。

でも、人間だもの、たまには愚痴のひとつもこぼしたくなることだってあるし、

弱音を吐いて人に甘えたい時だってある。

そういうことを自分に許せなかったのは、自分が傷ついた時に決めた信念が、

自分の素直な感情を表現することを阻んでいたからだったなんて、ほんとにびっくりだった。

 

 

 


 


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岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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