目次
家族連鎖
家族の中でやっていた役割行動が、会社や多数の人のいる組織、団体の中でやっていた役割行動や反応パターンと酷似していたことに驚いたのは、
15年ほど前に体験し、継続的に学んでいた「ファミリーコンステレーション」だった。
「家族連鎖」「形態形成場」「場の理論」という概念をこの時初めて知った。
「コンステレーション」という言葉は、ユング心理学や河合隼雄さんの著書の中には出てくる。
しかし、言葉、概念を知っただけで意識の変容に繋がることは極めて稀だ。
家族という「場」を可視化、外在化して観る
私なりにうちの家族に何が起きていたのかを「可視化」「外在化」して観ることで色々なことが腑に落ちた。
父の酒乱で母はすごく苦労していたのに、なぜ私は心理的にいつも父の味方だったのか。
父の苦しみや悲しみをわかってあげない母になぜ怒りを感じていたのか。
精一杯家族のために馬車馬のようにして働いている父に感謝の気持ちが足りない母を責める気持ちがどこから来るものだったのか。
この私の心理がどのようなところから生まれたのかがわかったのがファミリーコンステレーションだった。
代理役割、代理感情
そして少しづつ理解していった。
私は、家族の体系の中で誰の役割を担っていたのか、
誰の感情を代理として味わっていたのか、
誰の価値観を自分の価値観として採用して、自分の判断基準、マイルールにしていたのか。
父方の家系、母方の家系と私の関係性を何度か見ていく過程で初めて理解できたことがいくつもあった。
そして、その代理役割や代理感情を本来それを担っていた人、持っていた人にお返しをして、自分の領域に戻るということを学んだ。
愛のもつれ
本当は誰も悪い人なんかいなかったんだ、、、
ただ愛がもつれていただけだった。
ただ愛を知らなかっただけ。
親自身が自分の親を早くに亡くし、愛の渇きを抱えて苦しんでいただけだった。
それぞれが、あの頃、あの時、いっぱいいっぱいがんばっていて、
ただ食べていくこと、生きていくことに必死だったんだ。
父や母にも、また自分の親がいて、
その親との関係で苦しんできたことやたくさんの悲しみがあったことを初めて実感を伴って感じられた。
戦争や災害、疎開や貧しさ、嫁姑問題、夫婦問題、
家族の中に起きた不条理な出来事、その時代の社会通念、家族の事情に誰もが影響を受ける。
ただその時にはそうするしかなかった。
それ以外の方法を知らなかった。
心のやすらぎも満ち足りた幸せ感もない中でただ健全な心でいられなかっただけだったのだ。
そして小さな私も本当に健気にあの家族の中で、家族を守ろうとしていた。
自分の居場所が壊れることに怯えていただけじゃない。
親の期待に応えて褒めてほしかっただけじゃない。
むちゃくちゃな家族だったけど、私はこの家族をただ愛していたのだ。
それは家族に対して本当は抱いていたネガティヴな感情を味わうことを自分に許し、ネガを恐れず感じ尽くしたら
ネガが自然に反転してポジになり、父も母も弟たちも本当は大好きだったことを思い出していったのだ。
怒ってる、でも大好きなんだからね。
本当にそれ嫌、いい加減にしてよ、でも大切なんだからね。
本当に愛は矛盾だらけだ。
白か黒か、いいか悪いか、良いかダメか、正しいか間違っているかの二元性の中にいる頭は矛盾を許せない。
頭は完璧性を自分にも人にも求めるので、人間関係を頭主導でやってしまうとしんどいのだ、まず自分が。
ハートの中にある愛は矛盾さえ許し、抱きしめ、見守れるくらいに偉大だ。
それはどんな人の心の奥深くにもあるものだ。
いのちは愛と意思と叡智の働きで、私たちはみないのちそのもので、それゆえ愛への帰還の途上にいるのだ。
今まで通りの反応は起きてくるが
前回のブログ
子供の頃からの悩みの種だった親との関係は、私の意識が内側に向き合い出したら、
少しずつ変容しはじめ、昔に比べたらずいぶんと楽になってきた。
もちろん両親は相変わらず夫婦ゲンカばかりしているし、
弟たちも相変わらず、問題を次々にこさえてくれている。
問題が起きる度にいまだにみんなが私を頼ってくる。
その度ごとに当然今まで通りの反応は起きてくる。
なんでうちの家族ってこうなんだろうと、電話がかかってくる度にやはり気は重くなる。
深刻なしょいこみ方をしなくなる
でも、雲の向こうに青空が見えてからは、かつてのように、「じゃあ、私がなんとかしなきゃ」とか、
「今度はどうすればいいのだろう、私は」といった”深刻”なしょいこみ方をしなくなったのだ。
私がやり過ぎてしまうことは、逆に、家族をコントロールしてしまうことになるのだということにやっと気づいたからだ。
どんなに頼られようが、ちゃんと距離をとって、私にできること、できないこと、
やりたくないことをはっきり言えるようになったら、ずいぶん家族との関わり方が変わってきた。
反応は起きてきても、今までのように深刻にならないでいられること、
反応している自分を観られるようになっただけで大分気が楽になってきた。
愛という名の支配、コントロール
おそらく家族というのが、この世で無償の愛というものを学ぶための最大の修行なのかもしれない。
親子という縦糸の愛、夫婦という横糸の愛。
この二つの糸が織りなす悲喜こもごもの愛憎ドラマが、まさに人間関係の修行なのだろう。
チベットとかヒマラヤの山奥にこもって瞑想修行している方がよっぽど楽なことなのだと思う。
愛という言葉は心地よいけれど、実はこの言葉はかなり曲者でもある。
愛という名の支配、コントロール、束縛、依存、執着がいっぱいあるからだ。
本当は、愛は相手を自由にしてあげること、幸せにしてあげること、幸せを願うことなのに。
相手の喜びや幸せが自分のことのようにうれしいことであるはずなのに。
愛が呪縛になるから人は苦しむ。
愛が自分のニーズを満たして欲しいという相手への要求になるから、
人は愛に苦しみ、同時に相手をも苦しめてしまう。
一体、人はどれだけ泣くのだろう。
痛い思いをするのだろう。
愛を学ぶために、愛を知るために。
親子の愛、夫婦の愛というものが、人が無償の愛を学ぶための最大のレッスンであるとするならば、
そのメンバー、相手は一筋縄ではいかないタイプであることの方が多いのかもしれない。
私の中でしこりになっていたものが
自己防衛本能と自己保存本能で駆動する自我(エゴ)は、
痛い現実を作り続けるので、人生のどこかの時点で「愛への帰還」が始まる。
しかし、いのちそのものは帰還もへったくれもない。
いのちは愛と意思と叡智の働きそのものなので、
いのちである私達の本質に目覚めるだけでいいのだ。
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心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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