本当の気持ちを伝える勇気

本当の気持ちを伝える勇気


本当の気持ちを言うことって、実はとても怖いことだ。

本当の気持ちを言って、否定されたり、拒絶されたり、鼻で笑われたり、怒られたり、受け取ってもらえなかったという体験が幾度もあった人ほど、それは怖い。

だったら言わない方がいい。

どうせ言ってもわかってもらえないし。

どうせ私が悪いのだし、どうせ私がダメなんだし。

本当の気持ちを言ってもどうせわかってもらえないという「前提」で人と関わっているのだということさえ気づいていなかったりする。

そうやって自分の本当の気持ちを伝えることをあきらめることが習わしになっていく。

自分の中に本当の気持ちを一人で抱えこむほどに重たい心が自分の魂の歓びまで侵食していく。

そして、あれこれ考え過ぎている内に何が本当の気持ちなのかさえわからなくなったりする。

 

何が本当はイヤだったの?悲しかったの?

この大人になってからの反応パターンの震源地は多くの場合、

子ども時代に「本当のイヤ」と「本当のほしい」が言えなかったこと。

本当は感じていた「怖い」や「惨めな気持ち」や「不快感」を感じないように封印してしまったことにつながっている。

あるいは、子どもの無邪気な振る舞いが、思ってもいなかったような叱責や否定、拒絶を受けて傷ついている。

そのことで無意識に「自分は悪い子なんだ」「ダメな子なんだ」という罪悪感や自己否定感を抱くようになってしまう。

「自分がわからない」

「自分が本当は何がしたいのかがわからない」

「自信がない」

という人の多くがこのパターンを持っている。

自分の本当の気持ちを置き去りにして、親の期待に応えてきた人、親や兄弟を助けたり、面倒を見ることをいつもやってきた人、

自分さえ我慢すればいいんだと思って生きてきた人、

良い子になったら愛されると思って一生懸命良い子をやってきた人たちは、

心の奥底にそこはかとない生きづらさや寂しさ、虚しさを抱えて生きてきたという人が多い。

私自身がまさにこのパターンを持っていたので、自己探求の初期の頃は、

大人の私が、小さな私の声を聴いてあげることをいっぱいやったのだ。

「本当は何がイヤだったの?」

「何が辛かったの?」

「何がそんなに悔しかったの?」

「それは怖かったよね」

「それはガッカリだったね」

「そりゃあ、怒ってもしょうがないよね」

「悲しくて悲しくて仕方なかったんだよね」

というあの時の小さな私の気持ちを、大人の今の私がわかってあげるということをいっぱいやったのだ。

 

 人生の再編集

自分の無意識の思考パターン(考え方のクセや固定観念)

同じく無意識の反応パターン(物事の受け止め方、捉え方のクセからくるネガティブな反応の仕方)

ついやってしまう役割り行動の原型が、

幼少時の家族の中で作られたものであることを心の学びの過程で納得できた20数年前の私は、人生の再編集に取り組み始めたのだった。

大人になった自分の人生に繰り返し起こる苦い感情、不本意な現実を創造し続けているものが過去の痛みの記憶ならば、

過去に支配された人生を生きているのか、私は、人は、ということに心底驚いたからだ。

この当時私が体験し、学んだのは、フォーカシングやサイコシンセシス、ゲシュタルトセラピーやハコミセラピー、バイオシンセシスやファミリーコンステレーション、プロセス指向心理学やビジョン心理学だった。

抑圧されていた感情が癒され、解放されるにつれて、心のスペースが次第に広くなり、本来持っていた自由の感覚が戻ってきた。

そして、自分で自分のことを知っていると思い込んでいた自分という存在が、どれほど狭い枠の中の自分だったのかということにも気づかされた。

 

鎧を一枚一枚重ねるごとに

自分の内面に向き合うというのはすごい勇気がいることだ。

中を除けばいっぱい痛い思いや見たくなかったものや暗いものがあるからだ。

惨めさ、情けなさ、底知れない孤独感、虚しさ、怒り、不安、恐れ、絶望、寂しさ、悲しくて悲しくて仕方がなかったことなど。

人は生きてゆく中で、幾度も心が痛む経験をしているから、自分を守るために鎧を着る。

二度とこんな悲しい思いをしたくないから、二度とこんな痛みは感じたくないから。

鎧を一枚一枚重ねるごとに人は臆病になっていく。そして、本来の自分からどんどん遠ざかっていく。

でも、どんなに用心深くなっても、人は、人との関わりなしに生きていくことはできないから、

突然の傷から人は永遠に逃れられないのだ。

無傷で生きていくことができないのなら、せめて上等な傷を負いたい。

その傷が、自分を成長させ、人生をより深く生きていくために必要だったと後で思えるような傷、、、

そして、同時に人は、傷ついたときにどれほど多くの間違った思い込み、信じ込みをして、

自分を否定的に定義したり、人を決めつけてみてしまったり、人生にたくさんの制限を加えてしまうのかも知った。

前々回のブログ

インナージャーニーへの誘い My Journey of Finding the True Self

前回のブログ

「悲しみ」と「哀しみ」は、何が違うのだろう。

 

なぜか思い出すあの言葉とあのシーン

親に言われた言葉で何度も何度も頭の中でリフレインしている言葉がある。

強烈に覚えている子ども時代の「あるシーン」がある。

大人になって辛いことが起こる度になぜか思い出すあのシーン。

それが「古傷」だ。

大人なってからの人間関係で起きてくる自動反応(ネガティブな感情的反応)は、古傷が疼いているのだ。

目の前の相手が問題なのではない。終わってない過去の痛みが吹き出しているということなのだ。

その古傷に貼り付いた生き延びるための人生の初期設定の「OS」が作動し続けているということだ。

人生の「OS」=こうしていれば傷つけられることを避けられるだろう、負けないで生きられるだろうと思っている無意識の自己防衛戦略。

こういう自分であれば人からとりあえず「愛と承認」を得られるだろう、

仲間に入れてもらえるだろう、欲しいものが手に入るだろうと無意識に思い込んで身につけた「仮面」(ペルソナ・マスク)

しかし、もはや古くなって、今の自分を幸せにするものではなくなった人生の「OS」は、

「いのちがアップデイト」とする時がくる。

それは、とてもしんどい状況や出来事を通して、

「自分の未完了の感情」や「未解決の問題」に向き合わざるを得ないステージが用意されるという形によって。

浮上してきたということは、終わっていく、過ぎ去っていくプロセスが動き出したということだ。

過去をちゃんと過去に置いてこられるステージが、いのちによって用意されたということなのだ。

 

自分という存在のルーツ

私は、親よりも先に死んでしまうかもしれないという体験をしたことがきっかけで、

「生と死」について「自分は何のために生まれたのだろう」

という「実存への問い」が生まれ、それを深く探求する道に歩み出すことになる。

それは必然的に私という「存在のルーツ」である親との関係性の見直しをすることから始まることになる。

親に対して本当は抱いていたネガティブな感情の数々を味わうことには抵抗が生まれたが、本当の感情はちゃんと味わうと雲のように流れていった。

自分の間違った信じ込みも一つ、また一つと完了させっていった。

ある時、母に思い切って、自分があの家族の中で感じていた痛み、

母との関係でずっとしこり、わだかまりになっていた気持ちを勇気を出して言ってみた。

そうしたら、母は驚くようなことを私に言うではないか。

「私こそ、あんたに愛されていないんじゃないかって思っていた。

あんたに何か言われる度に自分はダメな母親なんだって思った。

あんたは、子供の頃から本当にお父さん子で、私に頼らなかったし、甘えたことがなかった。

この子は、私を必要としていないんだって思っていた。

私はそれがずっと淋しかったんだよ。

あんたは、私を責めることはあっても、お父さんを悪く言ったことは一度もない。

あんただって、お父さんのお酒でずいぶん苦労してきたはずなのに。

この子は、父親だけを愛しているんだって思っていた。

あんたが、自活したいからと言って、家を出ていってからは、

私は一年くらい、淋しくて淋しくて、飲みたくもないお酒を泣きながら飲んだりしていたんだよ。あんたに言ったことはなかったけれど」

 

精神的な臍の尾

知らなかった。

母も淋しかったなんて。

私との関わりで、自分をダメな母親だと思っていたなんて。

私は、母が、父や弟たちのことでいつも心配をしたり、頭を悩ませていたからこそ、

自分だけは母に心配をかけたくない、母の手をわずらわせたくない、母を助けようと思ってがんばってきたのに。

それなのに、そんな私を母は淋しく思い、自分はこの子に必要とされていないなんて思っていたなんて。

信じられない。

私は、三十年近くも間違った信じ込みをしてきたのだ。

私と母は一緒に泣いた。

初めて母と和解できたと思った。

母との「精神的な臍の尾」がやっと切れたと思った。

それでも、結婚後も実家の経済的援助やトラブルの後始末に奔走するというパターンは続いたので、

そこにある私の課題はその後見ていくことになるのだが。

それにしても、原家族というものがどれほど自分の在り方に影響を与えていることだろうと思った時に、

ふと「アルバム」「写真」という言葉が浮かびノートに巡る思いを書いた。

 

光に溢れていた日々

人が自分の人生のアルバムに貼る写真というのはほとんど、

「はい、チーズ!」

のポジフィルムだ。

アルバムに貼られた私の写真、家族の写真はみんないつも笑っている。

何の問題もない、ご機嫌な顔、楽しそうな顔をしている家族の写真ばかり。

まるでアルバムだけを見れば「太陽の家族」みたいだ。

私の、そして、家族のネガフィルムなんて一枚もない。

「ネガフィルム」はみんな自分の心の中にしまいこんでいるのだ。

心の中にしまわれて思い出すことさえ自分に禁じられる悲しみの写真の何枚か。

アルバムに貼られた写真は、いつかセピアカラーになっていくのに、

心の奥深いところにしまわれた写真たちは、しまいこんだ時の色のまま、

傷ついた心のままひっそりと生き続ける。

その何枚かのネガフィルムがあるために、過去を振り返ることには心の痛みが伴う。

キラキラと輝いていた日々、無邪気に笑っていた日々もたくさんあったはずなのに、

思い出すことが苦しみにつながるそれらの写真が、過去を曇らせ、

光にあふれていた日々さえも遠くに追いやっていたのだ。

 

雲の向こうに常にあった青空

でも、母に愛されるためにがんばっていい子をやってきたことや、

両親の板ばさみにあうことが本当はつらかったのだということを母に言えたら、

幼い頃のやんちゃな自分や天真爛漫だった自分、

家族の楽しい思い出なんかをいっぱい思い出せるようになったのだ。

ほんとに不思議。

心の痛みというのは、まるで雲みたいだ。

つらかったことや悲しかったことをたくさん話して泣いたら、

その雲がいつの間にかすーっと流れて消えて行き、気がついたら、

雲の向こうに常に存在している青空が見えたのだ。

家族の痛みにばかりとらわれていた頃の私は、

雲の向こうに常に存在している青空と太陽が見えなかった。

つまり、父と母が、どんなに私を愛していたかという方に目を向けられなかったのだ。

青空も太陽も、私の人生に一度たりとも存在していなかったことなどないにもかかわらず。

両親の愛がなければ、私は、今日まで生きてこられるはずもなかったのに。

青空と太陽というのは、大きな大きな愛みたいだと思った。

 

・思考の囚われがいかに痛い現実を作り続けるのかについて書いた過去ブログ

「自分以外の誰も、自分を傷つけることはできない」

 


 

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岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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