障害者も健常者も、人は皆、誰かの役に立ちたい

盛岡市小岩井農場の1本桜は大人気のツアースポット

 

日に日に暖かくなり、東京では桜の花の開花も始まっていたのに、

21日の祝日に東京に雪が降って驚いた。

降り積もる雪を見ながら、

「なごり雪」の歌が頭の中で鳴り響いているとFacebookに書いている友人がいて、

それを見たら、私も大好きだった「なごり雪」を口ずさんんでいた。

季節と季節が交差する、ほんの微かな、一瞬の季節。

その名もない季節に重なり合う色の豊かさ、光の眩さを感じている時が好きだ。

17日の土曜日に岩手県の盛岡に行ってきた。

私の生まれ故郷は、岩手県の釜石だが、

岩手県での講演は今回が初めてのこと。

盛岡に着いたら、すごく寒かった。まだまだ春は遠かった。

会場がある雫石(しずくいし)町は、盛岡から車で20分くらいの所。

雪がいまだに50センチくらい積もっていてびっくり。

ついこの間まで雪が降っていたそうだ。

 

 

今回は、雫石町の福祉作業所「かし和の里」20周年記念式典に呼ばれて200名ほどの方の前でお話させていただいた。

お子さんが知的障害を持って生まれた親御さんたちの苦労は計り知れないが、同時に親子の深い絆と労わりもまたひしひしと伝わってくる時間だった。

作業所で働く人たちのあたたかさ。親御さんたちの愛の深さ。知的障害者である利用者さんたちの純朴さ。

この20年間は、行政と地域の人たちと連携しながら、障害を持っって生まれた子たちが、

社会の中で尊重され、承認され、仕事に就け、安心して生きていけるのための環境作りに尽力した日々だったと佐々木百合子施設長さん。

佐々木さんご自身が、娘さんが知的障害児であることがわかった時から福祉を学び、障害児教育を学び、

同じような境遇の親御さんたちと繋がり、作業所を地域の中で生かすべく働きかけをし続けて来られたのだ。

「大変でしたが、語り尽くせないほどの感動の思い出もたくさんあるんですよ」と言う佐々木さんの言葉に目頭が熱くなった。

 

 

26年前の初めての出産の時、私の息子は、体内切迫仮死になり、死産の可能性があった。

それまでは、五体満足で健康で生まれてくれればそれでいいと思っていたが、

息子が死んで出てくるかも知れないと知ったら、そんな気持ちは吹き飛んだ。

ただただ生きて生まれてくれることだけを祈った。

オギャァという小さな泣き声を聴いた時は、生きて産まれてくれたとが嬉しくて嬉しくて涙がとめどなく流れた。

私は、息子の出産直後に脳腫瘍を発病したため、手術の後遺症で右手が震えていた。

夜中の3時間ごとの授乳の時、哺乳瓶を持つ手が震えたので、息子は口元が不快だったのだろう、しかめっ面で、泣きながらミルクを飲んでいた。

未熟児で生まれたため、保健所の検診で、他の赤ちゃんよりも身長も体重の増加も少ないことや、発語が遅いことを指摘されるたびに不安になった。

障害を持っていないかどうかの検診はいつもドキドキした。

 

 

今回、講演を聴いてくださった親御さんたちは、皆さん、ある日突然、我が子が知的障害児であることを知らされたのだ。

どれほどショックを受けたことだろう。どれほど悩み、苦しみ、迷いと葛藤の中で一生懸命子育てされてきたのだろう。

親である自分たちがいなくなった後も、我が子が安全・安心に生きていける環境、社会を作るために、

親御さんや職員の方々が、どれほどがんばって福祉作業所を充実させてこられたことだろう。

今回の20周年記念式典は、ボランティア活動をしてくれた地域の人たち、就労支援をしてくれた企業の方々、行政からの協力に対して感謝の気持ちを送る式典だったのだ。

 

 

今回、私を講演に呼んでくださったのは、「かし和の郷」施設事務局長の下川原幸夫さんだ。

幼少時に小児麻痺を患った下川原さんは、今でも身体が不自由だが、こうして生きてこられたこと、福祉作業所を20年やってこられたこともたった1つの理由ー愛に支えてもらってきたからですと語る。

「障害を持っていようが、このままの存在を承認してもらえることがどれほど嬉しかったか。承認は愛です。愛がなければ人は生きていけません。愛があれば、人生にどんなことがあっても人は生きていけるんです。かし和の郷を愛の場所にするためだけに20年間がんばってこられたのは、承認という愛がどれほどの生きる力を人に与えるかを自分が身を持って体験してきたからです」

と少年のような純粋な目で下川原さんは語ってくれた。

 

 

下川原さんは、私の長年の友人でもある主婦二人の音楽ユニット「コクーン」とのコラボCD「いのちの花」を友だちからプレゼントされて聴いてくださったのだ。

その時に最初の「存在」の歌から涙が止まらなくなり、記念講演に私を呼びたいと思ってくださったのだと言う。

 

 

存在

あなたが ただそばに「存在いる」だけで 心がやすらぐ人がいる

あなたが ただあなたで「存在ある」というだけで 誰かが癒されている

あなたの「存在ありかた」そのものが 誰かに元気を与えている

 

自分の存在を証明するために 無理して頑張って生きていると

ふと忘れてしまうことがある

自分が「存在いる」というだけで 誰かの心をあたためていることや

誰かの生きる支えになっているということを

 「もどっておいで私の元気!」(善文社/岡部明美著)から

 

 

私は、亡くなった年子の弟が子供の頃、知恵遅れで特殊学級に入っていたことで、いじめられたこともあるが、弟を恥ずかしいと思ったことは一度もない。本当に心根の優しい子だったから。

『私に帰る旅』(学芸みらい社)のP64〜66 に書いた、

弟と「ウーの話」を今回初めて講演の中でお話しさせてもらった。

弟が、脳性麻痺の「ウー」のことを語った一言は忘れられない。

「姉ちゃん、ウーは脳性麻痺だったけど、心は天使だったんだよな。傷つかない力や、恨まない力って、天使の力なんじゃないかな」

 

 

3、11で、私は、故郷釜石が津波に飲み込まれるという衝撃の映像を見た。

すでに一家で神奈川に越して来て、釜石にはもう家はないのだが、故郷をこよなく愛した父は、あの映像を見ながら号泣していた。

重度の認知症だった父は障害者になり、歩くこともできず、言葉も喋れず、無表情で、なんの反応もしなくなっていたが、

ちゃんと心は感じていたし、わかっていたのだ。

父にとって故郷が壊れてなくなっていく姿はどれほどの悲しみだったろう。

3、11の半年後に父は旅立った。その5ケ月後に弟も急逝した。

私にとっては、故郷と家族2人の喪失が重なり、3、11とあれからの数年はかなりつらい時期だった。

岩手に行ったのは、3、11のボランティアで、

「コクーン」(ボーカル:水月悠里加、ピアノ:本多裕子)と一緒に行って以来だった。

最初にボランティアで入った陸前高田の被災状況を見た時、私たちは絶句した。

廃墟というものを生まれて初めて見た。

このような惨状の中で、被災地の方々は私たちをあたたかく歓迎してくださったのだ。

コクーンの歌を聴いて、どれほどの方が涙を流されていたことだろう。

 

 

雫石町は、菜の花の町として有名だ。

福祉作業所「かし和の郷」の利用者さんである障害者の皆さんが、この菜の花を絞って菜種油を作りきれいな瓶に入れて販売しているのだ。

地域のお店で出たダンボール回収や、ゴミのリサイクルやリユースの仕事もみなさん黙々とやっているという。

人は皆、誰かの役に立ちたい。

何かの役に立ちたいのだ。

自分がやった仕事で誰かに喜んでもらえることが嬉しいのは、

健常者であろうが、障害者であろうが変わりない。

そして、社会そのものも、健康な人、成功者、エリート、強い人、達成者、優秀な人ばかりだったら、

私たちはいつ自分の心の奥底にある優しさや思いやりという慈悲心を思い出すのだろう。

 

「菜の雫」がおみやげとしても大人気

 

 

記念式典では、「かし和の郷」のメンバーが来場者のために、ハンドベルで、

「アメージンググレース」と「北上夜曲」を演奏してくれた。素晴らしい演奏だった。

亡き父の大好きだった「北上夜曲」を聴いていたら涙がこぼれた。

今まで、学校、病院、企業など色々な場所で講演させていただいたが、脳性麻痺だった「ウーの話」をしたのは初めてだった。

故郷岩手での初めての講演には、亡き父と弟が動いてくれたようにも思う。

式典ではもう一つ、舞台の上で荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」をかけてみんなで踊った。

私も引っ張りだされたので、喜んで一緒に踊った。

今まで絶対に踊りなんかしなかった子までが舞台の上で踊ったことを親御さんや職員さんたちが驚きと共にとても喜んでいらした。

アンコールが2回もきたので、計3回のダンシングヒーローだった。

 

 

最近、胎内記憶で有名な産婦人科医の池川明先生が、子どもは親を選んで生まれてくるというご本を出されているが、

障害を持って生まれてくる子は、優しそうなお母さん、愛の大きなお母さんを選んで生まれてくるそうだ。

親を幸せにするために生まれてくる子、親を助けるために生まれてくる子、親を成長させるために生まれてくる子。

「うちの息子は、5歳の時に、僕はお母さんを助けるために生まれたんだよ」

と言ったんですよ、という話をしたところ、

講演後、「いやあ、息子に、僕はお父さんを助けるために生まれたんだよって言われましたよー」と苦笑いしながら言われたお父さん。

「私は、お母さんを成長させるために生まれたのよ」って娘に言われちゃいました、と笑って言うお母さん。

障害を持って生まれてくる子は、魂の成熟度が高く、敢えて今生の人生に困難な課題を設定して生まれてくると言われています。

どんなに科学技術が進歩しても、生まれてくる子の2%は障害児だと言います。

これは、大いなる存在のどんな意図なのでしょう。

私はそこに、人(親)が無条件に我が子の存在を愛することの学びがあるような気がするのです。

もちろんこれは、全ての親の課題でもあります。

小さい時は無条件に愛せても、だんだん条件付きの愛情になっていくからです。

「いい子にしてたら、勉強ができたら、いい学校、いい会社に入って、人に自慢できるような立派な仕事してくれたら愛してあげる」

と、どれだけ子どもに期待し、無意識にプレッシャーをかけていることか。

そして、社会全体が、障害者や、身体がどんどん不自由になっていく高齢者など社会的弱者に対して、

どれだけの優しさや思いやりが持てるのかーそれは、社会の成熟度が測れる物差しでもあります。

そのための社会制度、システム、科学技術、ネットワーク、心身の癒し、衣食住環境、医療環境、教育環境が求められいるのではないでしょうか。

経済成長の大目標の中で切り捨てられてきたものの中にこそ、

今、社会全体が取り組むべき課題があるのだと思います。

「成長」から、「成熟」へのベクトル転換の課題が、

個々の人間と社会全体へ投げかけられている時代なのではないでしょうか。

 

 

3月14日に76歳で死去した車椅子の天才科学者(英・物理学者)のスティーブン・ホーキング博士の言葉。

障害と共に生きることについて。

私も障害者だが、ほかの障害者の人たちに助言するとしたら、

障害に妨げられずにあなたがうまくできることに集中し、

何ができないかを無念に思わないこと。

身体的だけでなく、精神的にも障害者になってはいけない。

2011年5月、ニューヨーク・タイムズとのインタビューで

 

「コクーン」のホームページ
http://www.yy-cocoon.com

 


岡部明美公式サイト

 

「ワークショップ」「個人セッション」「LPL養成講座」の情報はこちらをご覧ください。

http://www.okabeakemi.com

 


書籍&CDのお知らせ

 

『私に帰る旅』
(学芸みらい社)


角川学芸出版から刊行された本書が、
装幀も新たに学芸みらい社から刊行されました。
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『約束された道』
(学芸みらい社)


2017年6月刊行と同時に増刷。
2018年4月第3刷決定。
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『もどっておいで私の元気!』
( 善文社)


1996年5月刊行から22年間のロングセラー。第12刷。
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『いのちの花』
(CD)


¥2,000
CDは講演会、ワークショップ等で販売しています。必要な方は、Facebookのメッセンジャーにご連絡下さい。

 

投稿者プロフィール

岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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