存在全体が癒す力なのだ

存在全体が癒す力なのだ

遠い、遠い、昔の記憶。

その人との関係で、それ以外のことは全く覚えていないのに、

なぜかあるシーンだけを強烈に覚えていて、ふとした瞬間にそれが蘇ってくることがある。

最近蘇った高校時代の数学の教師、斎藤先生とのあるシーン。

私は小学校時代から算数が苦手だった。からっきしできなかった。

中学、高校と学年が上がるに連れてますます嫌いになっていった。

難しくて、面白くなくて、数学の授業は苦痛以外の何ものでもなかった。テストはいつも赤点。

高校時代のある日、数学の教師である斎藤先生に呼び出された。

怒られるんだ、と思った、当然。

あまりに出来の悪い生徒だったから。

斎藤先生は私の顔をまじまじと見ていった。

「ちょっとお前に聞きたいんだけどさ、俺の教え方のどこが悪いのかなぁ。ここまでお前ができないということは、俺の教え方に問題があるんだと思うんだ。どこがどうわからないか教えてくれないか」

生意気盛りだった私はこう言った。

「先生、できない生徒というのは、そもそも自分が何がわからないかがわかってないんです。私が先生に逆に教えてほしいのは、微分積分や指数関数がわかることが、私の人生にとってどういう意味を持ち、どう大切なことなのでしょうか?」

「そんなことを聞いてきた生徒は初めてだなぁ。お前はテストが毎回赤点であることが恥ずかしいとか悔しいとか思わないか?答えがスカッと解けることは気持ちよくないのか?快感じゃないのか?」

「たまに解けても全然気持ちいいとか快感なんてないです。先生とは快感ポイントが違うんだと思います。毎回の赤点も、できないんだからしょうがないです」

しかし、斎藤先生とのこの一件以来、私はなぜか数学に少しだけ関心を持つようになったのだ。

そして、マンガの上手いクラスメイトに頼んで、開くのも苦痛だった数学の教科書に楽しいマンガをいっぱい書いてもらって、まず数学の教科書への親近感が持てるように工夫した。

全然できない私を斎藤先生は「もっとまじめに勉強しろ!」と怒るどころか、「俺の教え方のどこか悪いのか教えてくれ」だなんて、なんかぐっときてしまったのだ、私は。

初めて数学の試験勉強をがんばってみたら、なんと50点も取れたのだ。私より斎藤先生の方が喜んでいる感じだった。でも私もかなり嬉しかった。

そして斎藤先生はこう言った。

「人生にとって数学を学ぶことがどんな意味を持ち、どんな風に大切なのかの答えは、お前からもらった俺の宿題だな」

なぜかわからないが、このシーンを強烈に覚えているのだった。

そして、数学は最後まで好きにはなれなかったけれど、斎藤先生ってすごい先生だったんだなって今になってわかるのだ。

 

プラスの種はマイナスの中にある

人がやる気になったり、勇気が湧いてくるのって、こんな何気ない愛のある関わり方だったりする。

そして私は満遍なくなんでもできる優等生でなくてよかったなと思う。

嫌いなものや苦手なものやできないことがたくさんあるお陰で、

自分は何が好きで、楽しくて、得意で、どんなことに喜びを感じる人間なのかがわかりやすくなったから。

プラスの種はマイナスの中にあることや、

ネガは反転して自然にポジに変わる瞬間があることを体験的に納得できる機会が多かったことは、私の生きる力を育ててくれた。

希望を失わないいのちの底力、

人生に起きてくる、その時には不都合なことや不快なことは、

次の「展開」への「序章」であること、

「生の全体性」からものごとを観る洞察力、

こういったいのちの底力は、

愛や光が燦々と降り注ぐ季節ではない時をどう生きたが育ててくれたものだった。

 

カウンセリング・マインド

高校時代の数学の斎藤先生とのエピソードをふと思い出したのは、

この1週間に渡り行った、LPLの認定試験の後、受験生にフィードバックを次々にしていたからだろう。

カウンセラーやセラピストになりたい人や、すでにプロとしてやっている人が自分の仕事力のバーションアップのため、

さらには、ラビングプレゼンスとカウンセリングマインドを持ったリーダーシップを身につけ部下の人材育成や面談力を身につけたい経営者、ビジネスマンも受験してくれた。

みんなそれぞれがユニークで、そして一生懸命、実技試験、筆記試験に臨んでくれた。

実技試験はこれから逐語記録として提出するので受験生にとってはまだ試験は終わっていないのだ。

LPL養成講座で様々な対人援助の手法はもちろん教えるけれど、

私は、その方のあり方、生き方、人と関わることの基本的な姿勢を非常に重視する。

人の人生に大きく影響力を与える仕事は生半可な気持ちと中途半端なスキルでできる仕事ではない。

私自身今は教える立場にあるが、私も今なお学び続けている。

対人援助職をする上でOSHOのこのメッセージは私の座右の銘だ。

折に触れ、繰り返し読んでいるくらい基本的であり、本質的なメッセージだと思う。

 

愛に溢れたハート

良いセラピストであることは、とても難しい仕事だ(至難の業だ。)

良いセラピストはとても思いやり深くなければならない。

なぜなら、人々を助けるのはセラピーのテクニックではなく、その人の愛だからだ。

人の存在の傷を癒すということに関する限り、愛に優るものはない。

ほかのあらゆるテクニックは助けになり、サポートにはなるが、基本はテクニックではなく、愛に溢れたハートなのだ。

 

自分自身を受け入れること

大いなる感謝をもって自分自身を受け入れなさい。

何であろうとも、そこにあるものは、そこにあるのだ。

そして、それはそうであることしかできないのだから。

だから、それと闘わないように。

どんな事実も心理的な痛みをつくりだすということはない。

あなたに痛みをもたらすのは解釈なのだ。

痛みはあなたが創り出したものだ。

なぜなら痛みはあなたの解釈によるものだからだ。

解釈を変えなさい。

そうすれば、同じ事実が楽しみとなる。

あらゆる解釈を落としなさい。

事実は事実なのだ。

苦痛でもなければ、楽しいものでもない。

選ばないように。

ただ、見守りなさい。

あるがままを受け入れて、見守っていること。

そうすると、あなたは秘密のカギをにぎっている。

 

正しく聴くこと

そして、正しく聴くことの美しさというのはこうだ。

真実にはそれ自身の音楽がある。

もし、あなたが何の偏見もなく聴くことができれば、あなたのハートは、それは真実だと言うだろう。

それが真実なら、あなたのハートの中でベルが鳴り始める。

もし、それが真実ではないなら、あなたは冷然と、気に懸けることもなく、無関心のままだ。

ベルはハートで鳴ることもなく、シンクロニシティ(共鳴)も起こらない。

それが真実の質だ。

あなたがハートを開いて耳を傾ければ、あなたの存在の中に直ちに感応が起こる。

あなたのまさに存在の中心が高揚する。

あなたは翼を広げはじめる。すると、突如として空全体が開く。

 

非難せず、評価もしない

非難せず、評価もしないこと。

あなたは、ただ全くの目撃者でありなさい。

全く中立の観察者でありなさい。

否定しないように。

「これは良くない」などと言わないように。

なぜなら、それは否定となり、あなたは抑圧しはじめることになってしまう。

離れていなさい。

ただそれを見守り、見なさい。

慈愛をもってみなさい。

すると、ヒーリングが起こる。

どうしてそうなるのかと私に尋ねないように。

なぜなら、それは自然な現象なのだから。

それは丁度、100℃になると、水が沸騰するようなものだ。

「どうして99℃ではないのか?」などと、あなたは決して尋ねない。

だれもそんなことに答えられない。

それは、ただそういうふうに起こる。

100℃になると水は沸騰する。

疑問の余地はなく、そして質問すること自体が見当違いだ。

もし水が99℃で沸騰すれば、あなたは、「なぜ」と尋ねるだろう。

もし水が98℃で沸騰しても、あなたは「なぜ」尋ねる。

それはただの自然現象で、100℃になると水は沸騰する。

内なる性質についても同じことがいえる。

超然とした、慈愛に溢れた意識が傷にもたらされると、その傷は消え失せる、蒸発する。

そこには「なぜ」と問うことはない。

それはただ自然なことで、それはそういうふうなもので、そういうふうに起こるのだ。

私がこのように言うのは、自分の経験から言っている。

やってごらん。あなたにとってもそれを経験することが可能だ。

そういうふうにやってみるといい。

 

存在全体が癒す力なのだ

それは痛い。

だがこの痛みは健康的だ。

それは痛みを与える。

それが痛むのはあなたの傷を露出させるからだ。

隠された傷はあなたは忘れるだろう。

だがそこに在り、そして大きく成ってゆく。

そしてガンになるかも知れない。

それを聞き、外気に曝しなさい。

太陽に、月に、存在に曝しなさい。

存在全体が癒す力なのだ

もし存在があなたに声明を与えることができるなら、

あなたの両親によって、教師によって、政治家たちによってつくられた小さな傷が癒されないなどということはあり得ない。

存在にとっては、傷をいやすなどということはなんでもないことだ。

あなたは自分の傷を曝け出さなければならないだけだ。

そうすると最初のうちは痛むだろう。

 

涙を恥ずかしがらないように

涙を決して恥ずかしがらないように。

自分はまだ自然なのだということを誇りに思いなさい。

表現不可能なことを涙によって表現できるということを誇りに思いなさい。

その涙は、あなたの歌であり、言うに言われぬものなのだ。

その涙は言葉では表せないあなたのハートなのだ。

自分の涙を決して恥ずかしがらないように。

涙を失った目は、最も美しくかつ最も栄光に輝く財宝を失ってしまったのだ。

私は、とくに私の人々には、全く自然で、純真無垢で、制御されないままでいて欲しい。

そして、涙が流れれば、喜びなさい。

あなたはまだ生きている…。

なぜなら、死んだ人たちは泣くことができない、死んだ人には涙がないということを知らないのかね?

そして、泣くこともできないし、涙を流すこともできないのに生きていると思っている人たちは、偽りの生を生きているのだ。

彼らは、とっくの昔に死んでいる。

彼らの涙が死んだとき、彼らも死んだのだ。

なぜなら、彼らの愛が死んだからだ。

愛がなければ魂はないのだから。

 

ただ自分自身でありなさい

ただ自分自身でありなさい。

全くの自分自身でありなさい。

そして、自分がどんな花になるのかなど気にかけないこと。

あなたが、バラなのか、ハスなのか、あるいはマリーゴールドなのか、それは問題ではない。

そんなことは問題ではない。

問題は花開くことなのだ。

もう一度繰り替えさせて欲しい。

花は問題ではない。

問題なのは花開くことだ。

花開くと言うことは同じなのだ、それがマリーゴールドだろうが…、マリーゴールドは、貧弱な花だ。

私はこの国でのことは知らないが、インドでは、マリーゴールドは最も貧弱な花だ。

ただ慰めるためだろうが、私たちはその花を、マリのゴールド(黄金)と呼んでいる。

そうでも呼ばなければ、それは貧弱な花だからだ。

バラは豊かな人たちだ。

ハスは大富豪だ。

だが、それは問題ではない。

マリーゴールドが花開くとき、それはバラが花開くときとまったく同じように、同じエクスタシーがまわりをとりまく。

エクスタシーには何の違いもない。

なぜなら、エクスタシーは、色や、香りや大きさからやってくるものではないからだ。

そうではない。エクスタシーはその現象、花が開き、咲いていくという奇跡からやってくる。

マリーゴールドはマリーゴールドになる。

それがその運命だ。

バラはバラになる。

それが、その運命だったからだ。

両者とも自分の運命を成就している。

成就したという点においては全く同じなのだ。

あなたが自分自身になるとき、あなたは私でもないし、キリストでもない。

クリシュナでもない。

あなたは、あなた自身になる。

だが私をとりまいているエクスタシーはあなたをとりまく。

 

人間の唯一の希望

それこそが人間の唯一の希望だ。

ハートに耳を傾け、それとともに行くことが。

すると、あなたの生は至福に満ちた巡礼となる。

私があなたたちに教える瞑想の方法の全ては、手短に言えば、

あなたがたを頭からハートへ、

論理から愛へ、

エゴからエゴなきものへ、

切り離されている状態から、

全体と深く融合し溶け合うことへと連れて行くことにほかならない。

(OSHO の講話より)

 

 


 

2019年4月〜6月の活動予定

4月16日(火)〜18日(木)

◆秩父3Daysワークショップ

テーマは、「一人の変化を、世界の変化へ」〜人は皆、この世界に贈り物を持って生まれてくる〜

自分の本当の望みを知り、本来の自分の才能と強みと魅力を生かして、周囲に、社会に貢献する仕事や生き方をしたいという方、イキイキと自分らしい人生を生きたいと思う方のためのワークショップです。

◆お問い合わせ、お申し込み

3days 埼玉・秩父ワークショップ

 


5月31日(金)〜6月2日(日)

◆湘南3Daysワークショップ

テーマは「感性の扉を開き、人生のステージを上げる」

感性は、人生の目的地を知っています。

感性はあなたの人生の歓びを知っています。

感性こそが自分らしさであり、自分の個性そのものなのです。

感性から湧き上がってくる興味や関心や欲求を理性を使って実現化していくのです。

人生を大きく変えたい、次のステージに行きたいと心から思った時は、感性の扉を開き、まず自分の本音とつながることからなのです。

海が一望できる最高のロケーションで毎年1回開催される湘南ワークショップは、岡部明美と立花岳志と大塚あやこのコラボワークショップです。

立花岳志ブログ

大塚あやこブログ

◆お問い合わせ、お申し込み

湘南3Daysワークショップ

 


6月24日(月)〜6月26日(水)

◆安曇野3Daysワークショップ

『男と女のパートナーシップ』〜自分を愛することからはじまる、活かしあうパートナーシップの創造〜

私たちの悩み、苦しみの殆どは人間関係によるものですが、

中でも最も難しいのが男女の関係ではないでしょうか。

逆に言えば、恋人との関係や夫婦関係が良好である時の幸福感は何ものにも変えられません。

愛ゆえの依存や執着やコントロールで私たちは苦しみますが、全ては愛を学ぶレッスンです。

自分を愛することから始まる真のパートナーシップの探求を始めてみませんか。

◆お問い合わせ、お申し込み

安曇野3Daysワークショップ

 


岡部明美公式サイト

 

「ワークショップ」「個人セッション」「LPL養成講座」の情報はこちらをご覧ください。

http://www.okabeakemi.com

 


書籍&CDのお知らせ

 

『私に帰る旅』
(学芸みらい社)


角川学芸出版から刊行された本書が、
装幀も新たに学芸みらい社から刊行されました。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます

『約束された道』
(学芸みらい社)


2017年6月刊行と同時に増刷。
2018年4月第3刷決定。
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『もどっておいで私の元気!』
( 善文社)


1996年5月刊行から22年間のロングセラー。第12刷。
Amazonで購入できます
全国の書店でもご注文できます

 

『いのちの花』
(CD)


¥2,000
CDは講演会、ワークショップ等で販売しています。必要な方は、Facebookのメッセンジャーにご連絡下さい。

 

投稿者プロフィール

岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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