本当の自分って何?  〜「感性の扉」を開いた向こうに見えるネクストステージ〜

本当の自分って何?
〜「感性の扉」を開いた向こうに見えるネクストステージ〜

贈り物

人は皆、この世界に何か「贈り物」を持って生まれるのだという。

その自分の「贈り物」に気づかないうちは、人を羨んだり、妬んだり、引きこもったり、頑張りすぎたりして、心とからだをこわばらせながら、硬い空気を吸って生きてしまうのだろう。

自分の贈り物に気づくのは、それを心から喜んで受け取ってくれる人に出会えた時であり、その人(人達)の笑顔や感動、やすらぎに自分の存在が深くかかわっていることを知ったとき。

おそらく「天才」と言われる人は、天から贈られた自分の贈り物に気づき、それを広く社会に、世界にプレゼントしている人なのだろう。

この世に生まれたということがすでに奇跡なのだから、人は皆「天の才」をもって生まれてきたのだ。

自分という存在は世界でたった一つの個性なのだから、自分の個性に気づくということは、自分の贈り物を知るということ。

自分が持って生まれた贈り物は、決して一番である必要もなければ、社会的評価を与えられたものである必要もない。

自分が好きだと思うこと、楽にできること、心地いいこと、夢中になれること、得意なこと、楽しいこと、訳もなく心ひかれること、それをしているときの自分が好きと言うものの中にたいてい潜んでいる。

『もどっておいで私の元気!』
岡部明美著/善文社

 

一人ひとりに与えられたお役目

もし一人ひとりになんらかのお役目があってこの世に生まれるのだとしたら、

私はいったいどんなお役目を天からいただいたのだろうと子どもの頃から思っていた。

それはきっと社会的に私は〇〇ですと名乗れるような肩書きのようなものなのだろうと、かつての私は思っていた。

だから以前は、退屈なOL生活後にたまたま出会えた、

マーケッター、プランナー、リサーチャー、ライターという仕事で有能な人間になって人のお役に立てるようになろうと

必死に勉強をし、必死に仕事をした。

必死という字は、必ず死ぬと書く。

そして私は、本当に死の崖っ淵まで行ってしまったのだった。

心理と真理を長年学んできた今ならわかる。

私をそこまで必死にさせたのは、心の最も深いところにある、魂の願いなんかでは全然なかった。

自分は、平凡で、取るに足らない人間で、特別な才能など何もないのだから、

人の何十倍も努力してやっと人から評価、承認をもらえるのだと信じて、ひたすら頑張り続けたのだ。

女だからとか、女はやっぱりダメだなとかも言われたくなくて、すごく頑張っていたから

頭の中はすっかり男だったと思う。

私の中の女性性が深く傷ついていたことがわかった時は泣けてしょうがなかった。

あの日々は、「自己実現」と言う名の裏に隠された、

「自我実現」だったのだということが今ではわかる。

自我が自己同一化している肉体の人生の死に直面するという体験は、

これまで自分と思い込んできた古い自己定義、古い価値観、人間観、世界観、生き方の強制終了だった。

 

いのちの花を開花させる種子

あの日から、この世界の見え方、感じ方が大きく変わっていった。

この世界は人が生きるために必要なものは全て与えられていると思うようになった。

そして、自分の中にはすでに自分という「いのち花」を開花させる種子はあり、

私たちはただその種子を思い出し、

その種子に水や光や滋養を与えることをすればいいのだと思えるようになった。

そして、その種子が埋められている土壌が、

心の奥底にある魂であることを今はもうなんの疑いもなく信じている。

その魂を芳村思風先生は、求感性、純粋感性と言っているのだなと理解すると、感性論哲学は非常に腑に落ちるのだった。

前回のブログ参照

私は今、表向きに出す肩書は便宜上出しているだけで、

感性の実感とはかなりかけ離れている。

どれが本業なのですか?

と時々、人に尋ねられるが、

これが本業ですとは何一つ言い切れないし、

そもそも本業、副業という考え方はもう古いのだと思う。

本を出していれば作家なのか?

と言えば、私は自分を作家とは思っていない。

心理カウンセラーやセラピストや研修講師が本業とも思っていない。

だからと言っていずれも中途半端な仕事はしていない。

私は自分の道を極めたい極道なので、これだと思えるものに出会えたらとことんその道を極めるまでやりたい。

収入につながるものだけが、天からその人に与えられた「贈り物」とは限らない。

お母さんという、いのちの仕事は人類の最も偉大な仕事だと思うし、

その人の在り方、生き方、表現、発信が、

世界に大きな貢献をしている人はたくさんいる。

 

過去を手放す時、次のステージに踏み出す時

私はふと、この道を歩いて来て何かを選択する時の基準はいったい何だったのだろうと振り返ってみた。

「ふっと感じたこと」と「ピン!ときたこと」以外にもう一つ、シンプルな判断基準があったことに気が付いた。

「なんか」だ。

「なんか惹かれる」「なんか面白そう」と思ったことはまずやってみた。

びびっているのに「なんかやっぱり気になる」と感じた時も、やはり結果は動いてみた。

「なんかやるしかないよな、やっぱ」と感じた時も、こわごわではあったが、とりあえず一歩は踏み出した。

そして「なんか嫌だな」と感じたものは選ばなかった。

いや、選んだことはあったが、なんか嫌だなと感じたものは、本当に嫌な体験をしたのだ。

これについては教訓その一からその五くらいはある。

だから、逆にこの「なんか嫌だな」という感覚は信頼していいということを学んだ。

「なんかもう違う気がする」と感じたものは、やめる。

あるいはもっと違うやり方がないか、自分がどう在ればいい感じでいられるだろうかと創意工夫してみる。

それによって続けられるものもある。

でも、どうやっても、どう在っても、やはり違和感の方が強くなってきたら方向転換するか、やめる。

これは執着を手放すことの不安や恐れや寂しさが出てくるので葛藤の時間がある。

しかし、もう過去を手放す時、新しいステージに踏み出す時がきているのに決断しないでグズグズしていると、人生からちゃんと”蹴り”を入れられる様な出来事が起きてくるから大丈夫。

人生の本質的な「ゴー!」「ストップ!」をかける存在は、「愛の回し蹴り」も最高のタイミングで繰り出してくるのだ。

 

みんな子どもの頃は感性のかたまりだった

「ふと、思いついたこと」「ふと、ひらめいたこと」「ピン!ときたもの」の他に、この「なんか」というものもかなり重要な判断や選択の基準だった。

「ふと」「ピン」「なんか」のマスター・キーワードは、いずれも理屈じゃない。

データでも熟慮でも、損得でもない。

理性的な分析でもない。

根拠はないけれど、「そう感じる」「そうしたい」というやつだ。

「だって好きなんだもん」「だってやりたいんだもん」「だって行ってみたいんだもん」ー 子ども時代、波にさらわれることがわかっていても作りたかった砂山。

親に怒られるのがわかっているのに拾って飼いたかった野良犬の赤ちゃん。

カブトムシが捕れるかどうかはわからないけど、とにかく登りたかったクヌギの木。

そんなふうに、時間も忘れて夢中になっていたことはないだろうか。

なんでもないことが、ただ楽しくて、うれしくて、満たされていたことはなかっただろうか。

みんな子ども時代は感性のかたまりだったのだ。

イキイキ、ワクワクしたいのちの喜びや輝きも、時間のない永遠の世界も、私たちは、ほんとうは知っているのだと思う。

ただ思い出すだけでいいのだ。すでにあったもの、すでにもっていたもの、すでに知っていたことを・・・・。

そして、自分が何者でもなかった子どもの頃、若かった頃、可能性という大空に飛べる翼をなんの根拠もなく信じていたあの感覚こそが、未来を想像していく感性のエネルギーなのだ。

 

理性で考えたものには、いのちの歓びはない

多くの人は、感性が自分を目的地まで導いてくれることを知らず、

理性的な判断によって目的や目標を設定し、進むべき方向を決定しようとします。

しかし、理性で考えた理念・目的・目標は、

決して人間のいのちに真の喜びは与えないのです。

理性で作った目的を実現しようと思うと、

その瞬間から人は、その目的、目標に縛られ、結果に囚われて、

どんどん自分を追い込んで苦しくなってしまいます。

自分の頭が作ったものに、自分が縛られ、支配されて、脅迫観念になってしまうのです。

いのちの喜びがあるところには、自分の天分・素質(才能)がありますが、

苦難、困難、試練、嘆き、悲しみの中にも天命、使命があります。

宇宙はあなたを苦しめるためにその苦難を与えたのではない。

それを乗り越えた暁にあなたの体験からの学びが、天命・使命につながっていくようにという宇宙の計らいなのです。

芳村思風(感性論哲学創始者)

 

感性から湧いてきたもの、理性で考えたものの違い

感性から湧いて来たものを実現しようとすると、

そこには”自由と喜び”があります。

いろいろと創意工夫やアイデアが湧き上がってきます。

つまり”自由と喜び”があるかどうかによって、

その目的が、感性から湧いてきた欲求なのか、

理性(頭)で考えて作ったものかがわかります。

「感性が先(主)」

「理性はあと(従)」

理性は目的を現実させるための”手段能力”なのです。

そして最後は、

肚での覚悟、決意、決断です。

決断にかけるのです。

そこから道が開けます。

 

考え方ではなく感じ方が人間を決定する

人間の本質は理性ではなく、感性です。

理性は合理的に考えられる素晴らしい能力ですが、

合理的にしか考えられない限界を持った能力なのです。

理性と感性のバランスをとるのではなく、

理性と感性の有機的つながり、

理性と感性の協力関係が“創造の力”になるのです。

“考え方”ではなく、

“感じ方”が

人間を決定するのです。

 

みんなにとってどうなのか?

自己実現の人生を生きてる人は意志の強い人です。

意志の強い人間というのは、欲求、欲望の強い人間です。

欲求、欲望を抑圧したら人は行動を止めてしまいます。

自らの欲求、欲望を、理性を使って実現しようとした時に、

それは、その人の”使命感・志”になっていくのです。

なぜなら、理性というのは、”みんなにとってどうなのか”

ということを考えられる力であり、”普遍化でえきる能力”だからです。

これが理性の長所なのです。

 

できることなら仲良くやっていきたい

感性は、対立するものを根源において結びつける「統合」の働きがありますので、

できることなら共に幸せになりたい、

できることなら仲良くやっていきたいという欲求が湧いてくるのです。

自分とつながる、人とつながる、この大自然、大宇宙とつながるのは感性の働きなのです。

理性は、主体と客体、あなたと私をはっきり二分化させるのでつながる力ではありません。

自己実現して成功者になっても、

つながる力や互いを生かし合う力がないと宇宙から応援してもらえないのです。

つながる力は感性から湧き上がる愛の力です。

 

「真・善・美」に向かう感性という生命エネルギー

感性には、「調和作用」「合理作用」「統合作用」

という三つの作用、働きがあります。

この三作用は、自ずと、「真・善・美」に向かうものなのです。

この宇宙も、そして我々人間を含めたすべての存在も、

感性という生命エネルギーの三作用の働きによって生かされている有機的生命体なのです。

ですから感性に響くもの、感性の響き合い、深い求感性は、

「真・善・美」に自ずと向かうようになっているのです。

自分の周りを見渡してみてください。

いのちを輝かせて生きている人は、

自分の本音、つまり深い感性の欲求や興味、関心、好奇心を、

自ら満たして、叶えてあげて、

それを表現して生きていることが、

自然と周囲に貢献する生き方になっている人だということがわかるでしょう。

 


YouTube【あけみちゃんねる】は現在、月に1回、“徹子の部屋”風に毎回ゲストを招いての「ライブトーク」(1時間)と

『もどっておいで私の元気!」(善文社)の「朗読YouTube・詩と音楽と映像のシンフォニー』(約4分)の2本立てのチャンネルです。

多くの方にチャンネル登録していただきありがとうございます。

 

【第三回岡部明美朗読YouTube】
タイトル:見守る

 

【岡部明美第二回ライブトーク】
ゲスト:行徳哲男先生

 


 

2021年・岡部明美の活動

 

■11月5日(金)~7日(日)

神奈川・湯河原 3daysワークショップ(主催:岡部明美・上谷実礼)

テーマは
「自分の本質とつながり、風の時代を軽やかに生きる!」

詳細ページはこちら
■12月3日(金)~ 5日(日)

千葉・勝浦 3daysワークショップ(主催:宇都宮秀雄)

テーマは
「自分の能力と魅力を発見し、自分らしい人生を生きる」

詳細ページはこちら


岡部明美《個人セッション・ワークショップ・LPL養成講座情報》

【2021年の予定】

●ワークショップ・LPL養成講座

http://www.okabeakemi.com

岡部明美LP L養成講座の認定セラピストがオンラインで個人セッションをしています。

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書籍&CDのお知らせ

 

●拙著2冊以上をご希望される方は、定価の2割引き、郵送費当方負担でお送りいたします。

●お申込み(お名前・ご住所・電話・メルアド・本のタイトル・冊数を書いて下記にお送りください)

3daysbook@okabeakemi.com

 

『私に帰る旅』
(学芸みらい社)


角川学芸出版から刊行された本書が、
装幀も新たに学芸みらい社から刊行されました。
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『約束された道』
(学芸みらい社)


2017年6月刊行と同時に増刷。
2018年4月第3刷決定。
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『もどっておいで私の元気!』
( 善文社)


1996年5月刊行から24年間のロングセラー。第12刷。
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『いのちの花』
(CD)


¥2,000
CDは講演会、ワークショップ等で販売しています。必要な方は、Facebookのメッセンジャーにご連絡下さい。

 

投稿者プロフィール

岡部明美
岡部明美
心理カウンセラー、セラピスト、研修講師、作家、東海ホリスティック医学振興会顧問
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